まりぃくりすてぃ

みんなわが子のまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

みんなわが子(1963年製作の映画)
3.5
臨場感あるジャケットの、左下の愛くるしさハジける子が幸子(演じたのは古屋美津代ちゃん)、仲よしの男の子は右目が一重まぶた・左目が二重まぶたの洋一(石坂博くん)、そして若くて綺麗でほっそりな西野先生(東映スターの中原ひとみさん)。
学童疎開がモチーフだ。
そう、1945年9月2日に日本の敗戦が確定し第二次世界大戦が終わってからもうすぐ74年目に入るんだが、世界平和にまだまだ遠い遠すぎる今夏の、反戦意志映画に私はこれをセレクト。
当然、子役がいっぱい出てくる。
劇伴はチェンバロのクラシック。
主に描かれるのは「子供たちの飢え」。厨房の食べものをくすねたり、絵具や胃薬(エビオス錠)を食べたり、沢蟹を取り合って取っ組み合いの喧嘩したりする、にこにこできないリアル話だ。

米軍投下ビラ~乾パン盗み~喧嘩、という序盤の流れは引力すばらしく、この時点で子供たちは五極へと分類されたかに見えた。
❶乾パン盗みを強いられる洋一。
❷乾パン盗みを強いるガキ大将の勝太(森坂秀樹くん)&その子分たち。
❸正義漢の邦雄(小柴広吉くん)。少年航空兵をめざし、愛称は「学者」。乾パン盗みのやりとりを黒目がちな目で見て義憤に燃え、勝てないくせにガキ大将につっかかる。
❹可愛い幸子&体の弱い秀代(萩原宣子ちゃん)という木村姉妹。洋一の味方であり、ガキ大将たちに「やめなさいよ!」と強気に叫ぶ。
❺そのほかのモブ女子たち。顔のおもしろい子もいる。木村姉妹と同一歩調のようだが、結束力を示す前に悪へと妥協しちゃう。率先してつまみ食いもするし。
さあ、そんな五者(と先生たち)が、、、、、どう係わり合いながら過酷な疎開先ドラマを前ヘ向かってゴロンゴロンしていくのか────という期待膨らませたんだが、その次の場面で、新キャラの房吉(新井慶次くん)というおねしょ男子にフォーカス。彼と面会母とのやりとりをたっぷり。
それはそれでみんなも房吉のボタモチにありつけるんだからいいとして、次には順一(北邑長勤くん)というまたまた別の男子の母親が登場しちゃう。。。。
というふうに、ストーリーの軸がしっかりせず(背骨らしい背骨じゃなく“軟骨”だけある感じで)主役も未確定なまま、時系列的ではあっても並列的な“エピソード集”の様相。最初は独自性&叙情性が光ってたバロック音楽も、(バロック音楽そのものが一般にそうであるように)だんだん映画そのものの平板さの現れとなってゆく。
場所の移動だけは一度ある。
なぜこうなってるかっていうと、敗戦のその年の、これは実際の話で、東京都目黒区立月光原小学校の生徒たちが山梨県甲府梨本市へ集団疎開(さらに空襲ひどくなって山奥の南巨摩郡穂積村へ移動)、戦後出版された「疎開学童の記録」を植草圭之助が脚色したものだからだ。

常に飢えてる、という以上には軸がしっかりしないうちに、西野先生の半裸を言葉で辱めたり、彼女を蛇で驚かせたりした演出は、子供に見せるには毒だしユーモアとして受け取りづらく、年頃女優へのハラスメント感イヤ。。。。 芋を先生まで一緒になって不正奪取したその後の騒ぎをちゃんと描かないのもチョット。。。。
潔癖な私は正直、1968年に長崎源之助によって書かれた『ゲンのいた谷』、69年の奥田継夫の凄まじい名作『ボクちゃんの戦場』という、学童疎開現場を描ききった児童文学に子供時代に触れ、太平洋戦争の実相を見通しちゃってるぐらいの意識がずっとあったために、どうしてもこの映画程度のユルい子供群像には満足できなかった。『ゲン──』も『ボクちゃん──』も、人間関係がより過酷(子供同士の戦争)であるとともに疎開先からの大脱走をふくめたクライマックスへの駈けが本当にエモかったから。ただし、両文学作にこの映画が影響を与えた可能性は大いにある。
顰蹙覚悟でいえば映画内の死者数も(例えば県民の四分の一が死んじゃった同時期の沖縄戦なんかと単純比較すればはるかに)少ないし、母を拒否した邦雄の説明にノイズ感あったし、玉音放送をどう流してみてもクライマックスは最後まで来なかった気がする。。。。
けれども、邦雄も結局参加したおみこしワッショイはステキな終わり方。若い先生役のスター二人(中原さん&高津住男さん)の会話との抱き合わせでこのワッショイをじっくり噛みしめたい。。。。
何にせよ、73年間の偽りの平和をいろいろ思いつつ、映画文化からも実生活からも今後とも“実りのあるアグレッシブorプログレッシブな刺激”を私は好んで受け取っていきたい。政治家をはじめとした日本の卑怯者らが引き寄せる対米自発的隷従の全体主義(と人類のあいかわらずの好戦傾向)に、知性と感性で抗いつづける。


「東京の空へ おかあちゃんと呼んでみた…… 大人にはわからない子供たちの悲しみと怒り!」────これ初公開時の宣伝文。
当時、家城巳代治監督はこう語ったという。「この映画に出演してる子供たちは、戦争というものをまったく知らない。むろん当時の飢えも、親子の長い別離も、わからない。わからせようとすることが無理である。しかし、この子たちは、この映画に出たことによって、いつか戦争の意味をよりよく理解するようになるだろう」