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『みんなわが子』に投稿された感想・評価

Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

4.0
「みんなわが子」

〜最初に一言、大傑作。私の青春と言えばATG映画だが、もう一つ言うならば独立プロである。本作はそれまでに描かれてこなかった集団疎開を描いた家城監督の学童疎開の記録を見事に映像化した頗る名画である〜

本作は一九四六年から四八年のわずかな間で多くの名作を世に送り出した独立プロの傑作映画として、またアートシアターギルド(ATG)の作品として、「荷車の歌」に続く全農映画の第二回作品として知られており、大東亜戦争末期、田舎に疎開させられた都会の子供たちの生活を描いた家城巳代治が六三年に監督した「学童疎開の記録」を植草圭之助が脚本化の傑作映画で、戦争によって屈折した子供たちの生活を真っ正面から捉え、子供たちの苦しみと悲しみと辛さが初めて描かれた、家城ならではの映画であるとされ、東京の目黒区立月光原小学校の生徒たちが、戦時中、山梨県の甲府へ疎開し、その後、南巨摩郡穂積村へ移動していた当時の生活体験を綴った学童疎開の記録を「雲ながるる果てに」独立プロの「異母兄弟」の家城巳代治が見事に映した名画だ。

疎開学童たちが農村の生活の中から体験した戦争の実感とやむなく別れて住まなければならなかった親子の愛情の厳しさを、思想も批判も加えずに、少年の目を通してありのままに描きあげた感動作で、この度独立プロからのDVDを購入して久々に鑑賞したがやはり傑作である。当時、この作品を知ったのはアートシアターのナンバー九の冊子だった。ATGにちょうどはまった頃で、カヴァレロヴィッチの「尼僧ヨアンナ」らと同じ時期に見た記憶がある。当時、アートシアター(芸術映画)と言う作品ばかりを配給してきたatgが、ほぼジャンルが場違いの本作を配給したのに違和感を感じた。なぜなら、この映画は芸術性に長けていないからであり、質素で非革命的なものだからだ。事実、作品研究をした荻昌弘氏は、かなりかけ離れて簡素素朴に作られた本作を、ギルドの上映作品選択に力を貸す評論家の内部からも、賛否の議論が巻き起こったと話している。

この作品のキャストを改めて見ると映画演劇界のベテランに加えて児童劇団の少年少女たちが素晴らしい演技を見せている。中平ひとみを始め、北林谷栄、赤城蘭子などである。本作は昭和三十七年八月十二日静岡県富士市の第三中学校ロケから開始し、映画の中の梅村寮には浅間神社の参集所を使用し、生徒たちが校庭でB-29のビラを拾うシーンには、貴船小学校の生徒が多数出演しているらしい。そういえば、先生役で出演している宮城多実子は当時月光原小学校の四年生で実際にこの疎開に参加した者だったそうだ。その後文学座の研究生を経て当時の俳優小劇場に所属し、今回の映画出演に至ったそうだ。中平ひとみは確か十七歳で東映のニューフェースに応募して女優になり、戦争に関する映画では今井正監督の「純愛物語」にも広島で被爆した少女の役で出ていたことを覚えているため、これで戦争映画は二作目?だったのかな。

それにしても忘れられた戦争を学童集団疎開の実状を、ほとんど記録的な態度で再生しようという試みで、ここまで素晴らしい劇映画が完成するのも当時の映画監督一同は皆改めてすごい人物だなと思う。学童集団疎開要項が当時の政府から発表されたのは、昭和年七月十七日で、当時の国民学校三年生から六年生までが原則としてこれに参加したと考える、その参加者は、当時ほぼ三十歳前後を迎えていることになる。それらの人々、両親たちにとっては、この集団疎開、と言う前例のない体験は、一生、心と身体から消すことのできぬ強烈な思い出なんだろうなと映画を見て思う。さて、物語に入る前に独立プロと言うのは何なのか手っ取り早く説明したいと思う。戦後民主主義の息吹溢れる中で東宝大争議が開かれ、そこで東宝を出た者を主とした映画人たちは映画企業に頼らず独立プロを起こし、大衆が望む映画を作り出していったのが独立プロである。



さて、物語は昭和二〇年夏。東京から国民学校の生徒たちが疎開してきているな梨本市に突然空襲警報が鳴り渡った。そして避難する生徒たちの上にB-29はビラをまいて行った。ビラは先生たちに回収されたが、元旅館であった宿舎の梅村寮へ帰ってきた第三分団の生徒たちは、洋一がポケットへ隠し持ってきたビラを読んで顔色を変えた。ビラには米軍が沖縄を占領したと書いてあった。木谷先生は否定したが、ラジオは玉砕が報道した。梅村寮へは三沢たち若い海軍少尉がよく菓子を持ってやってきた。梅村の娘京子はその三沢に密かな愛情を抱いていた。疎開学童はいつもお腹を空かしていた。だから決められた面会日に、家族が食べ物を持って会いに来てくれるのが待ち遠しかった。

ある夜、純一の母が面会に来た。許可書のない面会だったので、沼田先生はいちどは断ったが、西野先生に連絡して寝ている純一にそっと合わせた。起こして話をすることもできない母の目には熱い涙があふれた。その頃、近くの浴場を利用して花柳病に感染した女生徒が発見されて、先生たちはその善後策に頭を悩ませた。戦地へ立つことになった三沢たちがお別れにやってきた。軍歌を歌い楽しく最後を過ごしたその後、三沢と京子は拳銃で自殺した。翌朝、死体は憲兵に付添われて運び出されたが、街の人はその死体を非国民だと罵ったが、見送っている生徒たちの顔はいい知れぬ寂しさに暗く沈んでいた。

各地の空襲はますます激しくなり、食糧事情も悪化してきたので、生徒たちは山奥の寺に再疎開することになった。医者のいないところなので、体の弱い房吉や秀代は居残る事になったが、秀代は内気な妹の幸子と別れるのが心配だった。疎開先の寺の住職はきれい好きで子供嫌いだった。またこの村もまたひどい食糧難で、生徒たちの中には空腹に耐えかねて絵の具を舐めるものもいた。梨元市が空襲にあい残留組の生徒たちが寺へ避難してきた。だが秀代と房吉の姿は見えなかった。2人の告別式が行われた。房吉の母は泣き叫び、秀代の母は小さな骨箱を抱きしめ幸子を連れて東京へ帰った。見送る生徒たちも東京が恋しくて、みんな目を潤ませていた。



主食の配給が遅れ、西野先生は買い出しに奔走したが、どの農家も疎開者には冷たかった。そして終戦の日。先生たちの気持ちは複雑だった。生徒たちは神輿を担ぎ出した。今まで押さえつけられていたものが爆発したように、明るい声でわっしょい、わっしょいと叫ぶ声が大空の下をこだまのように広がっていった…とがっつり説明するとこんな感じで、学童疎開と言うこれまであまり目を向けられなかった題材を取り上げた傑作中の傑作である。戦後大量に戦争を批判した映画は多く制作されたが、このような題材で見る者の胸に沁みさせる素晴らしい作風もほとんどないと思う。まさに切実な願いが込められた作品である。本作は最終場面で観客は皆もつ感想が変わると思う。

ヒューマニズムで描かれている為か、製作側の希望的観測を入れており、体験者、非体験者とで感想は変わるかと…?実際に集団疎開をした人が人間不信になった話があり、、集団疎開を使った文章や映画がすべてヒューマニズムの立場から捉えているのは軽薄なことであると言っている。集団疎開の悲惨さを戦争や大人たちのせいにして、学童たちに同情してこと足れりとするような甘ったれた考えは許せないとのことだ。彼が言うには集団疎開は、ミニチュア版の死の家であると言う。子供が大人よりはるかに残酷な動物だ、と言う単純な一事を見落としていると言うのだ。彼の教訓は人間が集団を作ったら必ずろくな事は無い、と言うことである。そして骨の髄まで叩き込まれたのが、人間の性が本来「悪」である、と言うことだったそうだ。どんなに良い社会になっても、人間の弱さは消えないと言う事例があるようで、少し頭の弱い少年が当時いて、その子は艦載機の音が病的に嫌いだったそうだ。

ある日、艦載機の来ることがわかっていながら、餓鬼大将が彼を寺の山門に押し上げた。やがて、爆音が聞こえてくると、彼は狂ったように暴れだし、門から落ちて、首の骨を折って死んだ。また、この餓鬼大将は、臆病なので有名な少年を、寺の納骨堂に閉じ込めて一晩中出さなかった。中の少年は、半狂乱で戸を叩き通しだったそうだ。それをただ傍観しているより他なかったそうだ。そしてその人自身も被害者になり、敵機よりもこの餓鬼大将をはるかに恨んでいたそうだ。どうやら被害者の人が新潟へ再疎開する際、両親が爆死して心細くなったその餓鬼大将が握手を求めてきたにもかかわらず、彼は両手を差し出さなかったそうだ。同じ戦争の被害者とは言え、だからといって彼の行為が消えてしまうわけではないと思ったみたいだ。

集団疎開に加わった少年たちの中で、多少とも敏感なものは、この世の地獄を垣間見たと言う。ミニチュア版の死の家であり、アウシュビッツごっこたる由縁であると言う。集団疎開の傷は、当時の(映画が作られた時代)二十代後半から三十代前半の人の精神の中に確実に存在していると言い、それが、我々の仕事の中で、どう定着するかは、これからが問題であるとの事だ。例えば、他の疎開経験者の人(小学校の先生だと思われるが)の話を見てみると、疎開地では四つの旅館2に三年から六年までの児童が地域別に編成されて分縮したそうだ。また学校は当時の長野師範女子部の附属小学校に間借りして学校教育も力の限り推進したそうだ。そして東京から運んだ米、味噌、醤油、砂糖などのあるうちは良かったが、次第に配給食料が不足し、主食としての米に大豆が入っては子供たちはなかなか太ってくれなかったそうだ。

田んぼに行っては、イナゴや、用水のドジョウを取ったり、特有の乾燥さなぎを盛んに食べたものだそうだ。そして冬から春へとつながり、冬は寒く、部屋にこたつが入ったのは十二月になってからだったそうだ。冷えた体は温泉で温めてやっと寝たようだ。このような驚くばかりの生活があったそうである。確か家城監督は青春映画「若き日の血は燃えて」だったり、美空ひばりの第一回出演映画「悲しき口笛む、メロドラマ「花のおもかげ」などを撮っていて、ほとんど話題になっていなかったが、なぜかこの疎開を題材にした映画が爆発的に有名になったのかを考えた時に、いかに疎開を題材にした作品が今までに作られていなかったことがわかる。


といっても日本映画界における独立プロのことを考えると、日本で独立プロが育ちにくいのは、日本の映画界が産業形態としては米国のそれに似ているからだと思う。製作から興行まで一手に行う大会社が市場勢力の大部分を占めているので、当時のの松竹、東宝、大映、東映、日活の五社がそうであるように、大会社は配給事業を中心にして運営されており、必要な映画は大部分自主制作する建前だから、独立プロの割り込む余地はほとんどない。稀に余地があっても自主制作の不足を補うために独立プロ作品を買い上げると言う形になることが多いから、経済的な主導権はいきおいた会社が握ることになり、独立プロは不利な立場に甘んじるほかない。長い映画の歴史を通じて、独立プロの興亡は実に目まぐるしかったが、それというのも、大会社が市場の大半を握っているからに他ならないだろう。そうするとやっぱり仕事ぶりのユニークさでは、市川崑や小津安二郎なども、形式的には一応大会社の枠内にやりながら、独立の精神を主張する有意義な活動展開していたので、すごいなと思うのである。


日本の独立プロが育ちにくい原因は、大会社の商業主義が強くてそれに押されがちなことも確かだが、またその反面独立プロが大会社に甘える傾向があったことも否定できないだろう。独立プロで自由に製作はしたいが資金はないし配給市場も持ち合わせない。そこで大会社とユニット契約を結んで制作費の融資を受け配給を委託する。つまり経済的にはそっくり大会社にもたれかかって製作の自由と独立だけを満喫したがるのが個人的には良くないなと思う。それじゃあまるで虫がよすぎる話であり、独立プロ本来の一つの生き方と言うべきものが足らず、近代映協や勅使河原プロも同じような意味で自由と独立の精神がみなぎっていたことを思い出す。やはり芸術的にばかりでなく経済的にも独立していくためには、それだけ大衆の支持を得る必要があるなと本作を見てつくづく思った。

確か昔"アートシアターと日本映画"と言う特集座談会の本を読んだ際に、ゲストで出演していた市川崑監督と新藤兼人監督とAGG顧問である荻昌弘、草壁久四郎の四人が言っていたが、日本では平均三千万円くれれば大作が作れて、黒澤明の作品が大体直接日だけで七千万円位だから、「用心棒」クラスで、フランスの普通作品の半分弱であり、レネ監督の「去年マリエンバートで」と言う作品は、三億円位かかっていて、お金をかけたから良いができると言うわけではないが、資金スケールがこのくらい違うと嘆いていた。日本でもそれだけのものを呼び起こすだけの制作方法を考えていいと思うと言っていて、いわゆるアートシアター映画でも三億円かけていると言うことが、かなり驚愕的なことであると言っていたことを思い出す。これは物価が高いとか、人件費が高いと言う問題ではなく、人間が飯を食い、洋服を着ていると言う意味では、そう変わりがあるわけでは無いはずだとも言っていた。


さて、ここからは印象的なシーンを語りたいと思う。まず冒頭から非常に引き込まれる。学校のクラスの場面から始まり、アメリカ軍のB29がチラシをまいて、子供たちが外で防災頭巾をかぶって逃げ惑う狼狽の場面から始まり、缶パン的なものをチョンボして、みんなで分けて子供たちが食べたり、その後におねしょをしてしまった少年の母親が彼が好きなおはぎを持ってきて、美味しく食べて、その後にみんなに差し入れしているシーンなど、とりわけそのぶーちゃんって笑顔の可愛い坊主頭の少年が印象的である。それと旅館で若い兵士と女子が心中自殺する場面は、この映画の中でもすごくセンシティブで賛否が分かれるような内容だと思う。果たしてこの疎開を描いた物語に必要だったのかと言う問いがなされると思う。

その遺体が木製の棺桶の中に入れられ、運び出される時に非国民と書かれており、子供のー人が非国民って何?と聞くところなどなんてことないのにインパクトがあった。それとあまりの空腹で絵の具を食べてしまっている子供たちが、絵の具の赤と黄色は甘いのよと言う所などを強烈である。あと、あのおねしょする少年が〇〇になってしまうのは非常に悲劇的であるが、あの神輿の場面で救われる思いがした。それにしても三角巾は頭に被ってる中原ひとみの美しさはヤバすぎ。モノクロ映像に映える女優だと思う。このような辛い映画はもちろんのこと、マドンナ的な映画にも出演していてもおかしくない。それほど美貌の持ち主である。家城巳代治の「姉妹」の時もめちゃくちゃ綺麗だしな。


最後に余談だが、この映画を疎開学童たちの母校、東京都目黒区立月光原学校に在学している児童たちの作文がいくつか抜いてあるのが掲載されている冊子の中の六年生たちの子供が書いたものを読んだが、胸が詰まる思いになった。この映画は配信もされておらず、レンタルもなかなか探しにくいと思うので独立プロシリーズ(紀伊国屋)のDVDを購入することをお勧めする。とても素晴らしい映画である。左右イデオロギー関係なく見るべき大切な戦争映画だと信じている。今回DVDの特典で中原ひとみさんのインタビュー映像があったが、歳とっても綺麗だ。
臨場感あるジャケットの、左下の愛くるしさハジける子が幸子(演じたのは古屋美津代ちゃん)、仲よしの男の子は右目が一重まぶた・左目が二重まぶたの洋一(石坂博くん)、そして若くて綺麗でほっそりな西野先生(東映スターの中原ひとみさん)。
学童疎開がモチーフだ。
そう、1945年9月2日に日本の敗戦が確定し第二次世界大戦が終わってからもうすぐ74年目に入るんだが、世界平和にまだまだ遠い遠すぎる今夏の、反戦意志映画に私はこれをセレクト。
当然、子役がいっぱい出てくる。
劇伴はチェンバロのクラシック。
主に描かれるのは「子供たちの飢え」。厨房の食べものをくすねたり、絵具や胃薬(エビオス錠)を食べたり、沢蟹を取り合って取っ組み合いの喧嘩したりする、にこにこできないリアル話だ。

米軍投下ビラ~乾パン盗み~喧嘩、という序盤の流れは引力すばらしく、この時点で子供たちは五極へと分類されたかに見えた。
❶乾パン盗みを強いられる洋一。
❷乾パン盗みを強いるガキ大将の勝太(森坂秀樹くん)&その子分たち。
❸正義漢の邦雄(小柴広吉くん)。少年航空兵をめざし、愛称は「学者」。乾パン盗みのやりとりを黒目がちな目で見て義憤に燃え、勝てないくせにガキ大将につっかかる。
❹可愛い幸子&体の弱い秀代(萩原宣子ちゃん)という木村姉妹。洋一の味方であり、ガキ大将たちに「やめなさいよ!」と強気に叫ぶ。
❺そのほかのモブ女子たち。顔のおもしろい子もいる。木村姉妹と同一歩調のようだが、結束力を示す前に悪へと妥協しちゃう。率先してつまみ食いもするし。
さあ、そんな五者(と先生たち)が、、、、、どう係わり合いながら過酷な疎開先ドラマを前ヘ向かってゴロンゴロンしていくのか────という期待膨らませたんだが、その次の場面で、新キャラの房吉(新井慶次くん)というおねしょ男子にフォーカス。彼と面会母とのやりとりをたっぷり。
それはそれでみんなも房吉のボタモチにありつけるんだからいいとして、次には順一(北邑長勤くん)というまたまた別の男子の母親が登場しちゃう。。。。
というふうに、ストーリーの軸がしっかりせず(背骨らしい背骨じゃなく“軟骨”だけある感じで)主役も未確定なまま、時系列的ではあっても並列的な“エピソード集”の様相。最初は独自性&叙情性が光ってたバロック音楽も、(バロック音楽そのものが一般にそうであるように)だんだん映画そのものの平板さの現れとなってゆく。
場所の移動だけは一度ある。
なぜこうなってるかっていうと、敗戦のその年の、これは実際の話で、東京都目黒区立月光原小学校の生徒たちが山梨県甲府梨本市へ集団疎開(さらに空襲ひどくなって山奥の南巨摩郡穂積村へ移動)、戦後出版された「疎開学童の記録」を植草圭之助が脚色したものだからだ。

常に飢えてる、という以上には軸がしっかりしないうちに、西野先生の半裸を言葉で辱めたり、彼女を蛇で驚かせたりした演出は、子供に見せるには毒だしユーモアとして受け取りづらく、年頃女優へのハラスメント感イヤ。。。。 芋を先生まで一緒になって不正奪取したその後の騒ぎをちゃんと描かないのもチョット。。。。
潔癖な私は正直、1968年に長崎源之助によって書かれた『ゲンのいた谷』、69年の奥田継夫の凄まじい名作『ボクちゃんの戦場』という、学童疎開現場を描ききった児童文学に子供時代に触れ、太平洋戦争の実相を見通しちゃってるぐらいの意識がずっとあったために、どうしてもこの映画程度のユルい子供群像には満足できなかった。『ゲン──』も『ボクちゃん──』も、人間関係がより過酷(子供同士の戦争)であるとともに疎開先からの大脱走をふくめたクライマックスへの駈けが本当にエモかったから。ただし、両文学作にこの映画が影響を与えた可能性は大いにある。
顰蹙覚悟でいえば映画内の死者数も(例えば県民の四分の一が死んじゃった同時期の沖縄戦なんかと単純比較すればはるかに)少ないし、母を拒否した邦雄の説明にノイズ感あったし、玉音放送をどう流してみてもクライマックスは最後まで来なかった気がする。。。。
けれども、邦雄も結局参加したおみこしワッショイはステキな終わり方。若い先生役のスター二人(中原さん&高津住男さん)の会話との抱き合わせでこのワッショイをじっくり噛みしめたい。。。。
何にせよ、73年間の偽りの平和をいろいろ思いつつ、映画文化からも実生活からも今後とも“実りのあるアグレッシブorプログレッシブな刺激”を私は好んで受け取っていきたい。政治家をはじめとした日本の卑怯者らが引き寄せる対米自発的隷従の全体主義(と人類のあいかわらずの好戦傾向)に、知性と感性で抗いつづける。


「東京の空へ おかあちゃんと呼んでみた…… 大人にはわからない子供たちの悲しみと怒り!」────これ初公開時の宣伝文。
当時、家城巳代治監督はこう語ったという。「この映画に出演してる子供たちは、戦争というものをまったく知らない。むろん当時の飢えも、親子の長い別離も、わからない。わからせようとすることが無理である。しかし、この子たちは、この映画に出たことによって、いつか戦争の意味をよりよく理解するようになるだろう」
mingo

mingoの感想・評価

3.9
隠れた名監督は家城巳代治だろやはり。子供への演出も小津に負けず劣らず。今年もラピュタでやるね

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