マチ

猿楽町で会いましょうのマチのネタバレレビュー・内容・結末

猿楽町で会いましょう(2019年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

人物造形が好きな作品。どの人物も現実的で具体的で抽象的で記号的である。

「田中ユカ」は割とどこにでもいる女の子だ。
似た人はたくさん思いつくし、ある時期のわたしにも似ている。
背伸びをしてたら、着地できなくなって、上手く前に進めず躓いてばかりの女の子。
自分のなかに積み上げてきたものがなく、他人からみられる自分のほうが、本当の自分よりも大事にしてしまう女の子。
誰とでも関係を持ちながら、誰も愛せず、そして誰からも愛されない女の子。
これらの意味を持つ抽象名詞が「田中ユカ」なのだ。

しかし彼女だけが弱い人間ではなかったと思う。

小山田もある種の虚無を抱えているようにみえた。
ユカとの会話。
「好き。好き?」「大好き」
ユカの「大好き」はすぐに嘘とわかる。ただ、説明的な見せ方ではなかったけれど小山田の「好き」もおなじく嘘だ。
隙間を埋めたいだけで、決してユカを愛していたわけではなかったと思う。
彼はこの先、受賞したユカの写真以上に撮りたいものを見つけられるのか。少し疑問が残った。

「人を好きになったことないだろう」と詰問した編集者の嵩村は終盤に「おれは誰も好きになったことない」的なことを話している。嵩村も小山田に説いた「パッション」を得られないままやり過ごして生きてきた人だった。

ユカの矛盾を正さないと気のすまないアパレル店長や、頼まれてもないのにお金の援助をしたがる優一など、ユカ以外の登場人物もカリカチュアはされてはいるが同じように脆弱さのある人間ばかりだった。


少し不満なのは、ここまでの人物描写、人物配置ができたからこそ、何かまだ話の先を描き足りていない気がしたところである。
ユカの行方を含めて、ある程度の顛末を整理しないままなのは、観客の想像力を制限しないから効果的だとは思う。そのせいもあって、複雑な気持ちの余韻を残すことには成功していた。
しかし一方で、もしもこの人物たちを通して、何かひとつの回答を提示できていたら今年を代表する大傑作になったのではないだろうか、とも思った。

このままでも素晴らしい作品だとは思うが、何かもの凄くもったいなく感じてしまった作品でもあった。
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