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サウラ家の人々のeirakuchoのネタバレレビュー・内容・結末

サウラ家の人々(2017年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

カルロス・サウラは感傷を避ける。現在を生き未来を見ていたい、と言う。写真を撮るのが好きで、末娘から「写真は過去を保存することでしょ」と問われると、笑っていた。
子供たちの幼かった頃の写真を見て「いい写真だ」と言う。可愛くて可愛くてたまらなかったよ、なんてことは言わない。奥さんには「あなたは感情がない」とも言われていた。
創作には孤独が必要だと言っていた。感傷を避けるのとどうつながるだろうか。自分にとっては孤独と感傷は近しいところがあるが、感傷を伴わない孤独というのはどんなものだろうか。
自分は他者に優しくするときの自身を、偽善的とは思わないが、作為的だと感じる。自己中心的に陥りがちな思考を意識的に矯正している感覚がある。

続けて「カラスの飼育」を観た。主人公は子供だが、無感情だなんてことはない。カルロス・サウラの作品は十分に情緒的だ。たしかに分かりやすい会話で感情は示されない。人の感情は分かりやすい言葉になんてできない、という前提を感じる。「言葉にしないと伝わらないよ」と、自分の日常の会話で、そして現代の数多の作品で耳にしてきた。刷り込まれている、教育されている。それが普通でなかった時代がある。無闇に言葉を漏らして他者の承認を得ることはなかった時代。同時に、自身も他人の感傷を受け入れる必要のなかった時代。

ひとりアメリカに住む息子のシェーンは「普通の父親は自分も望んでいなかった」、「父は自分への関心が薄い」、「でも恨みなんてない。思い出にひとつも嫌なことはなかった」と言う。父親から何を与えられたか考えるとき大事なのは、共に過ごした時間だろうか、交わした会話の多さだろうか、安定した生活だろうか。
両親に期待するものは世代を追って平和になるにつれ、経済が安定し文化的に成熟するにつれ、高まっていく。自分が子供に与えるものは、自分が与えられた以上のものでなければならない。

とりとめもない雑感だが覚え書きに。
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