イホウジン

草間彌生∞INFINITYのイホウジンのレビュー・感想・評価

草間彌生∞INFINITY(2018年製作の映画)
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草間さんのキャンバスは、この世の全て。

草間彌生のここ30年の快進撃を幼少期から90年代までを中心に考察する映画で、単なる作品のプロモーションに留まらない点が印象的である。そのうえ、草間の置かれた環境を多角的に分析することで日本やアメリカの現代美術史を批評する試みも成されている。

草間は我々の考える以上に、あらゆるものと「闘う」“画家”なのかもしれない。
映画を観て振り返るに、草間は常に何かしらへの抵抗や反抗のエネルギーが活動の原動力になっているように思える。地元時代であればか族や保守的な地方の美術界に抗っていて、その手段としての渡米であった。アメリカ時代であれば白人男性が優位なニューヨークの美術界に抗っていて、その手段として作品のモチーフや様式の多様化を試みた。存在が忘れかけられていた70,80年代はひたすら自分自身の暗部と戦い続けていて、その手段として「アーティストとしての草間」を常に保つための創作をし続けた。確かに草間は何度も何度も自分自身よりもはるかに巨大な力に打ちひしがれ一時は消え去りかけたアーティストであったが、でもそれまでの“闘い”に共鳴して草間を支えた人たちがいたというのもまた事実である。その結果としての90年代以降の快進撃なのだろう。しかも、それに関わった人物が日米双方にいたというのも興味深い。こうなると“日本のアーティスト”とも“アメリカから逆輸入されたアーティスト”とも捉え難い唯一無二の存在である。
そして生涯に渡り作家活動を続けそのうえ作風が一貫している背景には、草間が「画家」としてのプライドを持っているからだと考察した。そのプライドは彼女のアイデンティティそのものであり、“描く”という行為を通して自分の内側に生じた強い衝動を昇華させてきた。あらゆる作品制作の方法の中で、描くという方法は最も主観的に自分を表現できる手段であろう。だとすると、彼女が生涯に渡り表現してきた物事は全てが強烈に自分中心なものであり、ある意味全てが絵画的に表現されてきたものなのかもしれない。この世の森羅万象を水玉に侵食させ、まさに自分の世界を構築することで爪痕を残すことが、彼女の生き方である。
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