『ストレイト・アウタ・コンプトン』と『ボーイズ・ン・ザ・フッド』を見て、コンプトンやスラムの環境を踏まえておくと、面白さが断然に違ってくる。
ドラッグが蔓延(まん延などという緩い表記は何なのか)し、日常的にギャング同士の抗争で家族や知り合いが亡くなる、コンプトンという場所。
そこから誕生する、元は貴族のスポーツだったテニスのスーパースターという事実と、スポーツビジネス問題の端緒にも触れている。
広告塔としてのアスリート(選手)の扱い。クラブでの過剰に優遇された環境が得られるが、薬物使用や低迷をすれば、「替わり」を見つけてまた宣伝する、という世界。父=キングは、それを拒否する。
姉妹は人種の壁を超えたが、ウィンタースポーツではどうなのか?水泳競技では?陸上やバスケットボールではあれだけトップにいる黒人が、なぜ活躍しにくいのか?
主張してはいないが、その原因を暗示している気がする。
また、原題の「リチャード王」こと父親が、なぜそこまで拘(こだわ)るのかということに、被差別者の被害意識を表現している。
スポーツものエンタテインメントに見せかけながら、いろいろな要素が込められた映画だった。