排路

生きるの排路のレビュー・感想・評価

生きる(1952年製作の映画)
1.0
わたしの靴下が破れてても渡辺さんの足は寒くないでしょ?ってセリフは良かったけど、この類の映画には全く心を揺さぶられない。

ただ商品として消費するだけなら、あの酔っ払った職員たちみたいに、これからの人生に対して変化をもたらさないと感じていながら、言葉の上っ面だけで渡辺さんを見習おうと、成長の糧にすると思う。

この映画の中では、葬式のシーンの構成がそうなように、渡辺さんの経験は現在から対象化された閉ざされた過去でしかないし、それが本当の意味で現在と共存することはない。最初に胃のレントゲンの写真を見せたり、渡辺さんが公園の建設への道を彼自身の葬式とフラッシュバックで描くのは、単なる小手先の調整でしかない。世界との接触を回復するというテーマとは裏腹に、直線的なストーリーに従って進み、小津の廊下のショットのような、飼い慣らされた風景にあったはずの新鮮さを再び味わうには至らず、あらゆるショットが語りに役立つものとして捉えられている。そんな作りの中で、夕焼けが綺麗だ!とか言われても、全く説得力に欠ける。そのようなお役所的(このわかりやすい映画の中で非難すべきものとして捉えられていた、何か混沌としたものを忌避して、物事を効率よく進めようとする態度)性質をこの映画の制作者は根本で共有していて、自分自身に対して全く非難の矛先を向けない薄っぺらい映画だった。
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