春とヒコーキ土岡哲朗

ソウルフル・ワールドの春とヒコーキ土岡哲朗のレビュー・感想・評価

ソウルフル・ワールド(2020年製作の映画)
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夢を持つことが素晴らしいわけじゃない。

夢を追いかける素晴らしさと愚かさ。
主人公のジョーは、ミュージシャンとしての成功を夢見て、中学校の音楽教師で終わりたくないと思っている。有名奏者のドロシア・ウィリアムズと共演のチャンスを手に入れたジョー。しかし、そこで浮かれて不注意によって死んでしまう。「ここでは死ねない。せっかく今から人生本番をやるチャンスがやってきたから」という気持ちのジョー。その執着は人間が生きていける原動力でもある。ドロシアとの共演について、それまでは母と一緒に「安定したら?」と言っていた母の同僚たちも、「よかったわね!」と喜んでくれるのがリアル。親は自分の子どもなので心配だが、他人はなんだかんだ上手くいった話は喜んでくれる。ミュージシャンの道に反対の母親に、正面から気持ちをぶつける時。食べていけないことへの母の反対と、「仕事の問題じゃない。生きる意味なんだ」と主張するジョー。このシーンは、夢に突っ走ることを肯定しているけど、その主張がわがままだということもちゃんと感じた。母の心配も当然で、「夢じゃご飯は食べられない」という言葉は正しい。「じゃあ食べなくていい」は屁理屈。正しさより屁理屈で生きたっていい、という後押しも感じるけど、事実屁理屈だという印象もある。夢を追うことにまっしぐらになれるかどうかがこの映画のゴールじゃない。

生きる目的が見つからない不安。
魂の「22」番は、どうやら嫌なことだらけな現世に生まれようとせず、ずっとソウルの世界にこもっている。ジョーと反対に、これが生きがいだというものを見つけられない。何を頑張るのが自分の人生のストーリーなのかが見えていないと生きるのが怖い。しかし、現世に落っこちてジョーの体に入ってしまい、人生を味わうことに。最初は現世に拒否反応を示していた22番も、ピザを食べた瞬間、心の中で弾ける。ただ何か食べるだけで弾けるくらい心躍ることがこの世にはある。ジョーの音楽の教え子のコニーが、音楽をやめようとやってくる。最初は無責任に「そうだよ、やめちゃいなよ」という22だが、やめに来たと言いながらまだ音楽に未練がある様子のコニーは、最後のつもりで演奏をする。その演奏に聞きほれる22。音楽にのめりこんでいるコニーの演奏には、見ていて気持ちよくなるパワーがあった。22は「何かにのめりこんでいる人がやる何か」を見て感動する。おいしいものや、気持ちいい風や心躍る音楽に触れて、現世もいいものたくさんありそうだな、と感じ始めた22。前向きに自分が生きる意味を探そうとする。空を見たり歩いたりする楽しさで十分生きていけそうになった22だが、ジョーから「そんなのは人生をかけることじゃない。ただの生活だよ」と言われ、もっと明確な理由を持てないと人生の満喫とは言えないのかと劣等感を覚える。迷いなく「音楽をやるために生まれてきた」と言うジョーに比べて、目的が定まっていない自分は自分の人生の主人公になれていない気がして焦る。そして、まだ生きる意味を見つけるまでジョーに体を返したくないと22は逃走し、結局二人ともソウルの世界の職員に捕まりソウルの世界に引き戻される。

夢に生きないと人生の挑戦者じゃないというプレッシャー。
再びソウルの世界から逃げ出して自分の体に戻れたジョーは、ドロシアと演奏し、認められる。しかし、次の日もまた同じことをすると言われると、ジョーはがっかりする。憧れの世界に行けても、それを日常として繰り替えす日々が始まる。ずっと「ここじゃないどこか」を目指して生きてきたけど、自分がそこに行ってしまったら、その場所は自分にとって現実になってしまう。「今自分はここじゃないどこかにいるぞ!」と思える瞬間なんて永久に来ない。日々、目の前で起きることを楽しむのが生きる上で大切なんだと気づいたジョーは、反省し、22に会いに行こうとソウルの世界へ。22は、一度ゾーンを味わった後にプレッシャーで踏み外した人だけがなる「迷子のソウル」になっていた。一度現世の楽しさを知ったが、自分は生きがいを見つける能力がないと失望した結果。そんな22を元に戻すため、ジョーは22と向き合う。22の心の中では、今まで22に指導してきたメンターたちの言葉がトラウマとして刻まれていた。生きる意味を明確に宣言できる偉人たちは、生きる意味を見つけられない22にとっては自分を否定する正しすぎる思想の集合体だった。ノウハウコレクター。その中には、ジョーの「人生をかけることじゃない。ただの生活だよ」もあった。ジョーは、ただの生活の中にある素晴らしさをかみしめ続けることにこそ人生をかける価値があるものだったと反省する。

人生はジャズ。
ジョーは22に「きらめきは、生きる意味じゃない。生きる準備だ」と言う。大それた生きがいなんて定まっていなくても、何かを楽しいと思えたら十分、自分の命を謳歌している。夢を持って、思い描いた通りにいかなかったらその後の人生しょんぼり生きるのなら、夢を持つのは勝手な期待でしかない。ジェリーが言う「生きる意味などないですよ」はドライで怖くも聞こえるが、ただ淡々とした事実。人生は、その場を即興で楽しむジャズ。人生に意味づけするのは自分なので、意味は即興で変えていっていい。そもそもジョーも、父に嫌々連れていかれたジャズを見て、音楽に目覚めた。この世はどこに感動できるものが転がっているか分からない。ジョーと向き合って元に戻った22は、ジョーの後押しでいよいよ生まれることに。22は、ジョーがもう現世に戻れないことを気にするが、ジョーは「おれはもう生きた」と言う。自分のきらめきだった音楽もやり、日々の素晴らしさを味わっていたことも気づいたジョーは、最初の「まだ死ねないんだ」と焦っていたときと違い、人生本番は常に目の前にあったことを理解している。22は嬉しそうに現世・地球に飛び込んでいく。この世に生れ落ちることは楽しさがいっぱいなんだということを、観客に俯瞰で教えてくれている。元々生きがい迷子だった22に生き方を提示したジョーは、ジェリーたちの計らいで再び生き返らせてもらうことに。生き返ったジョーが家のドアを開け外に出て「一瞬一瞬を大切に生きるよ」と言ったところで、『ソウルフル・ワールド』とタイトルが出て映画が終わる。我々の生きるこの世界こそ、魂のこもった世界=ソウルフル・ワールドなんだ。「夢を持って挑戦したら晴らしい人生になるわけじゃない」とディズニーらしからぬ厳しいことを言うなぁと思ったら、「生きていて、感じるものを感じる。もう世界は素晴らしいんだ」と、最大に暖かいことを言ってくれた。