KnightsofOdessa

Ray & Liz(原題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

Ray & Liz(原題)(2018年製作の映画)
4.5
[徐々に分解する家族のモンタージュ] 90点

これは傑作。アル中の父親レイとヘビースモーカーの母親リズについて数多くの写真や短編ドキュメンタリーを発表してきた写真家のリチャード・ビリンガムが、満を持して発表した自身の家族についての長編劇映画が本作品である。1996年に制作された短編『Fishtank』や父親レイについての写真集『Ray's a Laugh』を基に制作されており、リズが煙草を咥えながらパズルに興じる姿を切り取った本作品のポスターからして『Fishtank』のそれと酷似している。そんな映画の外的要素からも本作品が彼の中で集大成と呼べる作品であることを感じさせる。

物語は現代とリチャードの子供時代を往来する形式を採っている。子供時代といっても、リチャードの目を通して懐古的に描かれているわけではなく、視点人物は弟のジェイソンであり、リチャードはほとんど映画に登場しない。それどころかレイもリズも、リチャードの写真を再現するシーンへの登場に留まり、消去法的にジェイソンの物語になってしまっているのだ。話のほとんどは室内で展開され、社会からほぼ完全に隔絶されたある一家の日常が細々と進み、昼になっても両親はベッドで寝ており、兄リチャードも弟ジェイソンの相手をしないため、ジェイソンのイタズラや食事、そして逃避行までもがたった一人で展開される。

物語は一軒家時代、公営住宅時代、そして現代の三つの時代から成っている。一軒家時代は家族で買い物に行く様子や夫婦の会話が頻繁に行われ、レイの弟ローレンスがジェイソンの子守に来てくれたり、間借り人が居たりと世界との繋がりを暗示させる。第一部で強烈なのは、室内でローレンスと間借り人が酒を飲むシーンで40分近く使い、その間レイもリズもリチャードも登場しないのだ。思い出したかのように登場させられるジェイソンも、そこにいたという感じは薄く、彼を撮るためにリビングに置いたかのような歪がある。続く公営住宅時代では、夫婦の会話も、親子の会話も、兄弟の会話すらもほとんどなく、テレビやラジオ、石油ストーブの音が微かにする空間でネグレクトされたジェイソンが漂い続ける様を写し出す。彼らは既に誰の行動に対しても無関心であり、同時に世界と接触する瞬間も激減している。

ここで登場するのが高低差である。一軒家時代は地面と地続きだったのが、公営住宅時代になると地面までに距離が生まれてしまう。ジェイソンだけは世界と繋がろうと、窓から置物を落として地面に叩きつけることで高低差を埋めようとしていた。しかし、現代になって老人になったレイが覗き込む窓の先には、点のようになったリズが立っているだけだ。おそらく別居しているだろうリズとの物理的・精神的距離と、部屋から一歩も出ることのないレイと社会との距離感を圧縮した名シーンといえるこのシーン は、社会から隔絶され分解してしまった家族を表す象徴的なシーンといっても過言ではないだろう。

反面、どのエピソードも写真家の監督が想い出の写真をそのまま動画にして貼り合わせて散乱させただけという印象は受けてしまう。各シーンの構図には凝っているが、所詮は一瞬の静止画を目当てにした前後の動きという感じでアクションそのものに意味がなくなっているのだ。監督のそんな態度が緩やかに進む物語と相まって、鑑賞直後にイラッとしたのは紛れもない事実である。

もう少し動きと繋がりに拘って欲しい気がしたが、構図については写真家ということもあってか問題もない。今後、彼が映画を作るかどうかは不明だが、新たな才能が映画界に登場したことは確かなのだろう。今後の活躍に期待しよう。
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