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最初の晩餐のQTakaのレビュー・感想・評価

最初の晩餐(2019年製作の映画)
3.9
食卓に、家族の歴史が蘇る。
その料理と共に、また新しい時が流れ始める。
丁寧に紡がれた家族の物語。
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葬式から始まる物語。
それは、父と家族を巡る謎解きの物語でも有った。
スクリーンに映し出されるのは、家族それぞれが父と共に過ごしたその時間。
だから、物語の半分は、回想シーンで、子どもの頃の思い出である。
主人公は、染谷将太演じる次男(麟太郎)。
そして、戸田恵梨香演じる長女(美也子)。
斉藤由貴演じる妻の連れ子のお兄ちゃん役窪塚洋介(シュン)。
なのだが、現在と過去を行き来する物語なので、当然、子どもの頃の思い出を演じる子役さん達もいる。
この半分を演じる子役の役割が非常に大きい。
その子どもの頃に全ての謎が込められている。
その記憶がこの物語をナビゲートしている。
大人の物語であると同時に、子どもの物語でも有ったと言うことだ。
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物語は、麟太郎(染谷)と美也子(戸田)の二人の思い出を紡いで進んで行く。
その場面の多くは、食卓。
回想のきっかけは、父親の葬儀のお通夜の後の『通夜ぶるまい』の食卓だった。
仕出しを断り、母が出した料理。
それは、家族の思い出の料理だった。
そこから、つぎつぎと繰り出される料理、そして思い出。
その料理の一つひとつから、葛藤も、戸惑いも、喜びも、全てが浮かんでくるのだった。
『食事から過去へ飛ぶ』、このパターン。
大人になった姉弟が、記憶の彼方へトリップする。
その繰り返しが、物語を進めて行く。
おそらく、このリズムがこの映画の心地良さなのかもしれない。
そして、この繰り返しが、より深くこの物語の中へ、そして食卓へ導いてくれる。
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食卓の風景は、家族の風景でも有った。
新しいお母さんと歳の離れたお兄さんを迎えた食卓は、ギクシャクとした雰囲気で始まった。
そのぎこち無さがうち解けて行く様子。
あるいは、子ども同士の会話が変化して行く様子。
互いの距離が変わっていく様子。
そうしてはじまった、普通に過ぎて行く毎日の描き方が、心地よい。
そんな、日々を大切なシーンとして、無駄なく描いていることにあとから気づく。
この何気ない毎日が、大人になった家族には、この通夜の晩に大切だったのだから。
そして、記憶の中に有った疑問が解かれた時、この食卓が、これからはじまる自分達に用意された『最初の晩餐』となっていた。
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染谷将太の「何故?」「何?」
ちょっと不満げに、でも素直に発せられるその問い。
「家族って何なの?」がこの映画のテーマだ。
当たり前に過ぎて行くことに、ふと疑問を抱いてしまったとき。
その戸惑いを演技の中、様々な仕草、表情に散りばめている。
それは、台詞ではなく、演技だけで心に訴えてくるものだ。
あるいは、戸田恵梨香の、何かイライラし、釈然としない不安や不満を表す演技も一貫していた。
一方の、窪塚洋介のひとつ大人な感じの、落ち着いた雰囲気は、子どもの頃の家族の位置関係を保っていた。
これらの大人になってからの彼らの姿は、明らかに、子供の頃の家族の関係、出来事から始まっていた。
だから、子役達の演じている思い出の風景が、とても重要なのだ。
この映画は、半分は子役達に委ねられているその時代の描写にある。
そう思うと、子役達の演技、描写の素晴らしかったことがわかる。
少年の麟太郎を演じた二人(外川燎、牧純矢)
シュン兄ちゃんを演じた(楽駆)
そして美也子を演じた(森七菜)
いずれも、重要な役どころを演じきられていたのが素晴らしい。
怒りや葛藤、戸惑いといった、セリフにならない心の表現が素晴らしかった。
その表情や、目の動きが、この映画では重要だったのだから。
その心の動きが、時を経て、この夜の物語を導き出しているのだから。
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この映画、ストーリー的には、な〜んにも起こらない映画である。
時を超えた記憶と現在を行き来するシーンの連続の中で、一貫して家族の風景を描き続けている映画でもある。
無駄なく、もれなく、欲張らず、全てのシーンを大切に紡いで、家族の風景を描き尽くした映画だったと思う。
そして、心地よく、スクリーンに集中して、過ごせる映画だった。
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