井出

死刑台のエレベーターの井出のネタバレレビュー・内容・結末

死刑台のエレベーター(1958年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

まず音楽がいい、マイルスデイヴィス。使い方も不思議で普通のときに流れて、見せ場までの経緯のときは無音で緊張感、でなぜか見せ場でしゃれたマイルスデイヴィス。逆効果なんじゃとか思うけど、なんかそういう映画。殺しのシーンもスリリングなシーンもあえて描かなかったり、演者も過度な演技もしない、演出もしない、その素朴ですかした感じもいいのかな。
主人公たちの感情が強くあらわになるのも最初で、それは顔のより具合でわかる。たまにある時間倒錯やアングルの変化もさりげなさすぎるが、強調したいという感も見える。
窓ガラスにちょっとうつるシーンもあるように、彼らはことごとくすれ違うが、常にお互いのことしか見てない、聞いていない。それを象徴するように、エレベーターに閉じ込められ、彼女のたてる音にやきもきする。
エレベーターの象徴性はほかにもある。エレベーターは目的の10階の少し手前で止まる。ロープを回収し忘れた作戦の不完全な遂行をも表現する点でも、邦題は素晴らしい。思えばエレベーターを止めるのも社長の自殺を発見するのも警備員だし、もう一方のエレベーターとすれちがったりと、多くの意味をもっていた。
雷の音は、いろいろな悪い意味をもっていた。怒り、恐怖、焦り、崩壊、そのときどきの負の感情を表現していて、王道だけどよかった。
途中に出てくる若者は、無知で浅慮、尊大な幼稚さをもち、批判的に描かれていた。罪を簡単に犯し、重ね、あっけなく死んでいく愚かさ。相手がドイツ人だったのも意味深で、国だけを見て人を見ず、寛大さをはねつけ、あげく殺す、フランスへもしくは幼稚さへ批判がなされた。その若者の名が監督の名前であることから、自虐というか、若き自分への非難、そして戒めの感がある。ドイツ人がいやに享楽的に接してくることに反感を抱くのも確かだが。フランスは工業化において、車のように遅れていることも表現される。「拳銃さえなければ」という恋人のセリフなどには反戦感情も見える。
ロケ地も素晴らしい。有名な橋。パリ。
話はうまいし面白い。
新聞載ってる犯罪者がクロワッサン食ってて周りの反応に笑った。新聞みても食い続けるのには爆笑。
尋問のシーンは心理をあらわしていた。
話上手すぎ。でもなんか最後不幸なはずなのに、幸せな気持ちになった。確かに彼らは常にどこかで繋がっていた。
井出

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