KnightsofOdessa

ブラジル -消えゆく民主主義-のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

4.0
[私的な目線で綴るブラジル崩壊譚] 80点

普段はドキュメンタリーなんか全然観ないんだが、私の応援する監督で、今最も注目すべきドキュメンタリー作家10人にも選出されたペトラ・コスタの作品が、こうも簡単に日本で観られるとは感謝感激雨霰ってことで覗いてみる。Netflixで映画撮ってるよーってことは本人のインスタみて知ってたが、ヌルっと日本に来るとは思いもよらなかった。彼女のスタイルは、自身の目を通して自身の口から語られるという独特なもので、これは『Elena』から変わっていない。しかも同作では監督本人の子供時代と製作当時を語っていたのに対して、本作品ではその間とその後を埋めている、相補的な関係にあるのだ。なんか、泣けてくるよ…

物語の主軸は、やはりペトラとその母親である。軍事政権時代に戦士であり、父親とともに戦って投獄された経験も持つ母は、同じく女性で戦士だったジウマ・ルセフに多くの共通点を持つ。その前任者で、圧倒的人気を誇るルーラ・ダ・シヴァも、元はストライキのリーダーであり、二人は僅か10年足らずで終わりかけているブラジルの民主主義を初めて世界に示した人物でもあった。この二人の栄枯盛衰をペトラの目線で捉えたのが本作品である。

1984年。ペトラが誕生した時、ブラジルに大統領選挙などなかった。軍の独裁政権は20年目に突入していて、彼女は母の肩の上から見た叫ぶ人々を覚えていた。1970年代、両親は隠れながら軍事政権と戦っていた。投獄され出所した後は南部で(『Elena』でも語られていた)隠遁生活を送り、政府に立ち向かうために人々を集めた。そして、リーダーのペドロ・ポマールを含め、多くは政府側に殺された。だから、名前はペトラというのだ。

方や、彼女の両親は軍事政権時代の戦士だったが、祖父母はブラジルで最も大きな建設会社を持っていたのだ。彼女の家族の中でも、負の歴史を作り続けた人々と、負の遺産に抗い続けた人々がクッキリと別れていて、それがペトラに平等な目線を宿しているのかもしれない。

1979年になって、製鋼所労組のストライキが起こり、軍事政権に打撃を与える。このリーダーが当時35歳のルーラ・ダ・シルヴァだった。彼は民衆の希望となって、労働者党を起ち上げる。それから何度も大統領選に立候補し、ペトラが19歳の時、ルーラは遂に大統領となった。しかし、議会での支持者は過半数以下であり、票を買ったのではないかと噂された。党内でゴタゴタが起き、ルーラは議会最大党派PMDBに近付くしかなかった。今まで批判してきた少数独裁グループと同盟を組んだのだ。それによって2000万人が貧困から解放された。世界中が不況にあえぐ中、経済力で世界8位にまで上り詰めた。

ここで、ルーラは後継者のジウマを紹介する。彼女は軍事政権時代にゲリラとして戦った戦士だった。彼女の当選を知って、沸き上がる市民の中で、ペトラはぐるぐると回り始める。ちょうど『Elena』でもあったような、姉の回り方で。母が夢見た世界に近付いたのだ。

同じ戦士で、同じ女性で、同じ学校出身で、同じ刑務所にいたこともあるジウマに対して、母は親近感を持っていた。ペトラは母をジウマに会わせた。自由を愛していたから匿名でありたかったというジウマ。やがて、ルーラの人気は支持率87%で幕を下ろし、歴代初の女性大統領が生まれる。その裏で、ジウマは副大統領としてPMDBの代表ミシェル・テメルを迎えざるを得ず、この数年後には民主政権の基盤が崩れ始めた。

2013年6月に大きな事件が起きた。"アラブの春"の影響でバス乗車券値上げ反対デモが発生し、警察の抑圧がSNSで拡散されることでより大きく炎上した。やがて、国民の感情は与党労働者党への怒りに変わる。デモ直前、ジウマの支持率が過去最高になったことから、PMDBを政権中枢から追い出し始めたが、経済が後退し始め、大規模な汚職が発覚したことから転落が始まる。大統領選挙はかろうじてジウマの勝利に終わったものの、野党勢力はSNSを利用して半不正行為の潮流を上手く反ルーラ・反ジウマにすり替えた。景気はどんどん悪くなり、2015年12月ジウマへの弾劾申請が受理された。そして、ルーラにも疑いの目が向けられた。

あまりにも自然に、国が半分に割れた。

人々は衝突しあい、軍事政権時代の方がよかったと抜かす者まで現れ始める。国民の行き場のない憎しみを一手に引き受けた政治家達によって、ジウマ断崖の流れは形成されていった。彼女は弾劾決議の終審まで職務停止となり、代わってテメルが大統領になった。彼は白人のおっさんしかいない内閣を発足させ、世界中から笑い者となった。発足の日、国会にはテメルをヨイショする政治家や弁護士で溢れかえった。やがて、彼による弾劾の裏工作もバレたが、ジウマはそのまま弾劾された。

ルーラも告発され、ありえないほど稚拙な裁判で刑務所行きが決まった。裁判官はオペレーション・カー・ウォッシュの捜査で違法行為にまで手を染めた暗黒の"ヒーロー"モロ検事だった。絵に描いたような馬鹿げた展開なのに、大多数の国民はそれを享受したのだ。

テメルにも他の大物議員にも様々な嫌疑が掛かるが、ジウマの弾劾決議のときのような"劇的な演出"はどこにも見られず、保身に走る醜い老人たちが互いに足を引っ張り合ってなあなあにする姿しか捉えられなかった。そして、軍が議会を閉鎖し、テレビ局を乗っ取ったのだ。

次の大統領選挙に立候補したのは、元軍人であり、軍事政権時代に拷問官として悪名高かった大佐を称賛するような男だった。しかし、国内のエリート層の大半は、彼の存在がブラジルに必要だと考えているのだ。同じ選挙に立候補したルーラは、控訴を否決されたことで外される。

映画は出頭に応じたルーラの背中を見つめ、彼はクリチバへ移送される。テメルに代わって、ブラジルのトランプとも言われるボルソナーロが大統領に就任し、汚職総裁を先導したモロが法務大臣となったところで、映画は幕を下ろす。

ニュースやインタビューの合間に、統制されて作られた政治都市ブラジリアの滑稽なまでに近代化された建築物の様式美を切り取る映像を差し込んでいる。『Elena』では監督本人がゴロゴロ床を転がったり、橋を歩くシーンをスローで映したりしていたのとは格段に成長している。特に宮殿内部は外から入る経路を二度映すのに対して、外に出る経路をルーラ・ジウマ時代の最後に入れることで、民主主義が官邸から去っていくような感覚に陥らせる。扇情的でありながら、どこか冷めた目線を与えてくれるのは、監督の冷静なナレーションによるものなのだろうか。世界中いたる所で民主主義の空洞化が叫ばれ、"ポスト民主主義"という言葉まで誕生してしまったこの時代において、地球の裏側だからという理由で対岸の火事と決め込むのは禁物だろう。
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