円柱野郎

映画ドラえもん のび太の新恐竜の円柱野郎のネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

水田わさび版「ドラえもん」劇場版第十五作。
今回は大長編1作目の「のび太の恐竜」と冒頭をなぞりながらも、新たな展開を見せるオリジナル作品。

ドラえもん連載50周年記念作品。
劇場版1作目から数えて40作目、そして声優を一新した水田さわび版になってから15作目。
題材もまた劇場版1作目と同じ“恐竜”というのは、色々な節目の作品だと意識してのことなのだろう。

昨年に本作の題材が発表された時には「また『のび太の恐竜』のリメイクをやるの…?」と実は良い様には思わなかったものの、実際に観てみるとそれは全くの杞憂でした。
「のび太の恐竜」と冒頭部分が同じことについてはオマージュというよりはリスペクトを込めているのだろうと感じたし、育てた恐竜に対するのび太の親心とでもいうような愛をちゃんとテーマとしてすくい取って、それを上手く再構成した作品にもなっていると思った次第。
でもこれがリメイクかというとそうとは言えないくらいに物語は違うわけで、どちらかというと現代風にリ・イマジネーションしたという方が近い印象。
なので「新のび太の恐竜」ではなく「のび太の新恐竜」というタイトルにも納得なのです。
公式的にもオリジナル作品の扱いだね。

最終的に、隕石落下に遭遇したドラえもんたちが一部の恐竜を救うという筋書きは「のび太と竜の騎士」も連想させる。
ただ、ここで違うのは「竜の騎士」では「生き残った一部の恐竜は恐竜人になった」というSF(または可能性)に対して、本作は「生き延びた恐竜は鳥に進化した」という最新の学説に拠った内容を採っていて、そういう姿勢がまた「『ドラえもん』らしい」と思わせる部分だと感じる。
監督・今井一暁と脚本・川村元気のコンビでは2作目となる「映画ドラえもん」だけれど、観客が「ドラえもん」の映画で「観たい、感じたい」と思うような冒険心や科学の探究心的な部分をちゃんと理解しているし、けして「子供映画だから」と侮っていない「ドラえもん」の物語に対するリスペクトを感じ取れるところも良かった。

内容的にはのび太の親心で感動させる方向ではあるけれど、終盤に差し掛かるところで登場するピー助は…あれはずるいわ。
ピー助もまたのび太に愛情をもって育てられた恐竜なわけで、大山ドラで育ったおっさん(さすがに「のび太の恐竜」は劇場じゃなくてビデオで観た世代だけど)としてはあんなピー助の出し方をされたら泣いてしまいますよw
終盤の爆炎でピー助が助かったのかすごく気になってたけど、ラストにはまた姿が映っていて安心。
(海に潜っていたのだろうか。)
でも冷静に考えると、あの後の環境では首長竜が生き延びるのは厳しいんだろうな…。
そういう意味ではちょっと複雑な心境ではある。

歴史を変えてはいけないという大前提において、「それでも恐竜を救いたい」というのび太の願望は独善でしかない。
気持ちは分かるけれども個人的にも同意はできないわけで、実際にタイムパトロールもその状況を絶対に許すわけはないのだけれど。
そこをどうやって話として落とすのだろう…と観ていたら、「救われた恐竜が鳥になった」という設定1つでのび太の行為を全肯定して話をひっくり返してしまった。
これには感心したなあ。
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