くま一家

映画ドラえもん のび太の新恐竜のくま一家のネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

やっ…っと公開!二男と共に待ち焦がれて、公開初週に鑑賞。素直に嬉しかった!

劇場はご多分に漏れずコロナ対策で、座席1つ飛ばし毎のシートアレンジでしたが、設定された座席はほぼ満席。子供達が多く、待たれていた一作だったことが改めて伺えました。

主要登場キャラ達+今回のフィーチャーキャラ(二頭の恐竜ですね)はよく動き、表情豊かで、やっぱり「カワイイ!」の一言でした。また、メインキャラの声優さん方は、キャラに魂が宿る(いつもいつも)素晴らしい仕事をなさっていました!

二男も「楽しかった!」と満足していましたので、4点とします。来年以降も楽しみです。








以下、ネタバレと気持ちバレします。








とは言うものの、なんとなく腑に落ちない点もチラホラ。なんか話ムズカシクないですか?

本筋は「成長を(未来を)あきらめない」という話。のび太とキューの凹凹コンビが、お互いに支え刺激し高め合い、努力の末に共に成長を克ち取る、という過程がつぶさに描かれ、最後にピンチであるはずの爆風が、文字通り二人が「飛翔する」ための上昇気流になる展開には胸が熱くなりました。

ただ、サブのストーリーである「恐竜絶滅の危機に対するタイムパトロール(以下、TP)との悶着」は、終始戸惑いと「?」が繰り返してました。

TPは過去の改変を許さないために、あの時代にも先回って存在し、ともすれば逮捕も辞さない態度(のび太に対するあのレベルの拘束ってこれまでありました?)で臨む。これはSFの、あるいはドラワールドのお約束でもあり、これは分かる。ただ未来からすれば、あの一味がキーとなることはもともと明白な筈で、マークしていて、チェックカードでも彼らが介入する何かは止めることは出来ないことが判別しているのに、「我々はいま進化の瞬間を目撃している!」的なことをTPが言うんですか?TP、何してるんですか?アレが止めなくていい過去の改変なら、そもそものび太一味が介入することは分かってた訳だし、初めから止めなくて良くないですかね?

ジュラ期でのあのエピソードをきっかけとして、白亜期でのキューのあの成長まで、のび太が大きく関わり、かつそれが現代までのルーツとなる、といういわゆる「神の手」「進化の特異点」的な存在は、のび太に背負わせ過ぎじゃないですかね?
同時に、新恐竜達が現代までのルーツになるとしたら、ジャイスネ達が集めて救った他の恐竜達も生き残り、現代にルーツを遺したと考えられますが、そこは現代とは違う世界線だと?(その件はTPは問題視しないのか…?)

ストーリー上、TPは基本的にただの観察者、傍観者に過ぎず、のび太達が自ら考えて行動するのを見守る存在で(TPはそういう存在と言えばそうかもですが)、TPいなくても展開すると思う。物語上の乗り越えるべき最後のハードルは、激こわいデッカイあいつと、天変地異そのもので、TPは越えるべき壁でもなければ、「大人の視点」「常識の視点」との対比でのび太達の絆や乗り越える力が表現される、ってほど何もしてないしな…。状況に一番おたおたしていた人達、って役割に見えた。状況をよりややこしくするだけ存在に見えた。

TPがまったく出て来なくても、きっとのび太達ならなんやかんやしただろうな…、と思える程に。(ゲスト声優さん達を非難したいわけでもなく、むしろあの程度の役割なら、あんまり美味しくないんじゃ…)

だから、今回の映画はこれまでより、のび太が内面的に凄く大人びて見えた。導かれる存在より、導く側に見えた。(予想通りとは言え)ラストはアレできちゃいましたし。以前のF先生のバランスなら、「目でピーナッツ食べる道具を出してよ~、ドラえも~ん」で〆て、日常に戻ってた。今回ののび太はきっと、もう二度とテスト3点は取らないだろうな、って思いました。

夏休みというこの時期とも重なって(夏公開ドラ映画は2014年の『Stand by me』以来、2Dアニメでは1981年『ぼく桃太郎のなんなのさ』以来とのこと)、のび太が一夏の経験で成長を遂げた姿を観た気がした一本でした。
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