140字プロレス鶴見辰吾ジラ

ブラック・レインの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

ブラック・レイン(1989年製作の映画)
3.6
”俺よ!これが松田優作だ!”

1989年。
平成元年。
私が生まれた。
そして松田優作が亡くなった。

損したな~おい。
日本はこんな渋くって格好良いなんて。

リドリー・スコットが挑む日本。
昭和から平成に駆けて行った街。
古臭くて新しいディストピア感。

リドリー・スコットのオジキ。
あんた、面白れえモン撮るよ・・・

「ブレードランナー」で見た等身大の光輝かない粗末で汚い未来絵図。今作「ブラックレイン」でも薄汚い精神のアメリカの刑事と薄汚い大阪の街が出会う。今そこに我々が知っている日本が映っているのに、どうしてこんなにディストピアSFのような息苦しさや斬新さが映っているのか?

リドリー・スコットは日本に憧れていたのか?主役のアメリカ刑事は冒頭からバイクのチキンレースに、妻とのいざこざに、捜査中の不正にと薄汚れちまった精神が滲み出ている。それが日本という地の仁義や人情の世界で、その薄汚さや、泥臭さに何かを見つけて、真面目で正義感の強い日本の刑事とともに不釣り合いで歪な精神の捜査を行う。

リドリー・スコットが感じた仁義や人情への憧れや、世界に名だたる黒沢明の「七人の侍」の精神を蘇らせようと、ディストピアSF的な大阪の下町から、製鉄所の危うさから、そして田舎の田園風景から、そして泥まみれの決闘シーンから・・・

最後の最後で見る側を笑顔にさせるような別れのシーンの爽快さを終着点に、日本がアメリカを恐れさせた異文化という不屈さを砕いた黒い雨への言及から、憧れなのか?興味本位なのか?アクションエンターテイメントとしての出で立ちで、嫉妬のような精神への対抗心を感じた。

高倉健、松田優作、若山富三郎・・・

三船敏郎の魂の破片を見つけたかったのか?

格好良い日本の顔力が奏でるアンサンブル。

格好良いな、ニッポン。