人生で初めて?鑑賞中に吐き気を感じてスクリーンから目を背けた。けど背けた視線の先に映るものは画面と変わらないから心が持たない。紛らわす為にfilmarksを触ってる。ドキュメンタリーをどこまで内面化?するべきか悩むけど、この作品はどうしても端から端まで汲み取ろうとしてしまう。
社会には苦しみしかないという分かりきった事を8時間かけて再確認するだけ、でも映画という形態を極限まで使って観せられると、今まで割り切っていたものが割り切れなくなって先に心身の限界が来る。生存者の言葉は(事実であろうが記憶が作り出した幻想であろうが、言語がなんであろうが)そのまま「言葉」として受け取るしかなく、8時間の中で1秒も息をつく暇が与えられない。生きていることが対抗なんだとしても 流石に耐えられない。
今まで本当に意味のある映画なんて極小数しか存在しないと思ってたけど、この映画は逆に?意味"だけ"しかない。画面に何かが映ってる限り 公開されて誰かが観る限り 永遠に(この世から映画館と液晶が消滅するまで)抵抗し続ける。
何かを見る度に、飯を食べる度に、声を出す度に、文字を打つ度に抵抗し続けるしかない 抵抗し続けなきゃ生きてる意味が無い。7時間くらい経ち ワン・ビン本人が初めてカメラに撮られたタイミングで、「でもお前だってその場にいたら何も出来ないだろ?」と問われるのが凄い。この世に苦しみしかないなら 自身の存在を見つめ直しながら、静かにでも闘争し続けるしかない。映像にすれば、マイクにぶつかる風の轟音もひとつの声として燃え続ける。
ラスト10分間は、殺され奪われてきた人々の魂 と言えるようなものを撮り続ける。最後の最後に映画としての露骨な恣意性が見えた。