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雁の寺のkojikojiのレビュー・感想・評価

雁の寺(1962年製作の映画)
3.5
1962年 監督は川島雄三。評価もまあまあで、「名作」と言われている。だから、かなり期待して観た。

まず、この映画で気になったのは「山茶花究」という俳優。異彩を放っている。顔はよく知っている。彼が出演している映画はかなり観てる気がするが、初めて目を引いた。
モダン、インテリア坊主。何なんだこの役!
ちょい役かと思っていたら、話が進むにつれてその生活ぶりまで見せてくれる。とにかく面白い役所。
もう一つ、この俳優の名前「さざんかきゅう」何なんだこの名前?曰くありげで調べてみるのが楽しみだ。

官能サスペンスという分類になっている。官能は里子役の若尾文子の妖艶な魅力と演技によるのだが。

 「官能」
 そこまでこびる必要はない気がするのだけど。ジャケ写はこの通り、予告編は若尾文子を押し倒すシーンばかり、告知が作品そのものの期待を歪めてしまってないか。
 若尾文子の色っぽさは申し分ない。だからそこを強調する必要はない気がする。

 京都の孤峯庵、塔頭の和尚、北見慈海(三島雅夫)は、愛人里子(若尾文子)を密かに囲っている。寺の小僧慈念は和尚から厳しく躾けられていた。そんな慈念に里子は次第に同情し歩み寄る。ある日、碁を打ちに出かけたまま慈海が帰ってこなくなり、いっこうに行方が知れず、慈海は雲水に出たことにされる。だがそれは慈念の策謀によりなされた結果だった。

 映画は、慈念の苛立ちを増すために、慈海と里子の肌はいつも触れている。まさにベタベタの状態のシーンが繰り返される。慈念にとって、目のやり場に困るようなシーンが続く。


(ここからはネタバレを含みます。)






 慈念の苛立ちが頂点に達した時、殺意が生まれる。

 里子が慈念を憐み、関係を持つことがこの映画のポイントなんだろうが、慈念役の高見國一との絡みがほとんどなく、どうしても里子の気持ちに納得感がない。確かにそうなるだろうなぁーとは思わないのだ。

 それと、慈念の境遇。極度の貧困生活。捨て子、乞食谷。お寺の修行の酷さ。逃げることはできないから、どんなことにも耐えるしかないと思っている和尚の姿勢。母を慕う気持ち。ここに残念ながら感情移入ができない。ピンとこないのだ。ほんとだったら涙するぐらいのシーンのはず。
 
 後もう一つ、私はこの重要な役所の慈念を演じる高見國一という俳優が好きではない。
眠狂四郎殺法帳の時も浮いていてよくなかったが、この映画でも上手く演じていないと思うのだ。先入観があることは間違いないが。

それが私の評価を下げさせている原因のようだ。

 
2022.11.07視聴-501
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