QTaka

イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたりのQTakaのレビュー・感想・評価

3.0
空は、かつて冒険の地だった。
飛ぶことも、昇ることも、挑戦だった。
そして、そこで多くを学び、発見した。
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「空は開けている」
見上げる空は、予定より雲が多く、不安を抱えながら、徐々に上昇していった。
大気は、上に行くほど気圧は下がり、同時に気温も下がる。
大気は、水蒸気を含み、その量が大気現象を生む。
気圧が下がり気温が下がると、水蒸気は飽和し、凝結して雲が発生する。
雲の発生は、凝結熱を発生し、大気の激しい運動が始まる。
大気運動に伴い、空気・水滴が帯電し、放電現象、雷が発生する。
激しい風と雷、地上から見上げた雲は、その中で激しく活動していた。
その確認こそが、この冒険だった。
そして、その雲を突き抜けた時、そこに見る風景は、まさに美しかった。
それが、この物語の風景だった。
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冒頭の王立協会での演説のシーン。
気象学の研究についての訴えを、会員達は笑い飛ばす。
彼らが取った態度は、”科学”とは無縁の、むしろ真逆の姿勢だった。
”科学”とは、知らないことと向き合うこと。
そこに、有るであろう真実の姿を見つけることこそが”科学”。
とすれば、いまだ解明されていない気象現象を解明する”気象学”を否定するようでは、科学者とは言えない。
彼らが優先したのは、地位や名誉、名聞であって、”科学”の名の下、真理を追求する科学者の本分ではなかった。
そういう壁が、”社会”の構造にはある。
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”科学”のあり方がまだ十分認められていなかった頃の科学者たちの姿を見て、昔の話と揶揄する節もあるかもしれないが、むしろ現代の方が”科学”との向き合い方が危ういように思う。
およそ説明のつかない説明が、まことしやかに流布されていることも多い。
あるいは、データや研究に基づいた”科学”によって裏付けられた”科学技術”について、”科学”とは別のところで判断され、あるいは運用の可否を決められる件がある。
Ex.新型コロナウィルスの流行を、根拠の薄弱な過去の例から考察する株式アナリスト。
Ex.原子力発電所の可動の可否について、判断基準を提示する裁判官。
Ex.効用のハッキリしない似非科学による健康法。
現代社会は、様々な科学技術の上に動いている。
その判断を、科学抜きにすることは本来困難なはずなのだが、時として優先され、まかり通る。
その時の判断材料は、特定の者たちの地位や名誉、名聞だったりする。
科学の辿ってきた歴史は、そのまま現代社会に写して見ることができる。
その判断、その意見、その行動は、いったい誰が、なぜ、どのように下したのか。
だからこそ、何かに挑戦する時、その冒険を止めてはいけないこともわかるはずだ。
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人類は、常に挑戦を繰り返して今日の文明を築いてきたはずだ。
その過程で試みられた挑戦の数々をこうして物語として確認できる。
それは、高きを目指すものや、道なき荒野を目指すものだったかもしれない。
それらのチャレンジと同様に多くの”科学”の挑戦もあったのだ。
今、私たち、特に日本はどうだろう?
はたして、チャレンジすることや挑戦を、促し、称賛しているだろうか。
むしろ、安全志向と銘打って、尽く挑戦を諦めてはいないだろうか。
そんなことで、未来はあるのだろうか?
挑戦者たちの歴史を、ただ黙って見ていてはいけないと思った。
今、ここから挑戦が始まるのだということを、知らなければならない。
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