ナタリーポートマン無双のようなものを期待してしまったけど、そうではなかった。
シリーズよりも、『ジョジョ・ラビット』のことを想起した。母子家庭で育った少年が下手なごっこ遊びを繰り返して父親になろうとする話。母子家庭育ちのコメディアン、タイカワイティティの心の物語なのだと思う。ここでもそれを繰り返す。
寸劇、回想シーン、変装が何度も出てくる。これらはオマージュやパロディというより、うまくできないことに開き直ったシミュレーション。父親になろうとしてなれない息子のごっこ遊び。
同時にソーは、父親なるものを破壊する。タワー、ゼウス、ゴア。父のいない息子と子を失った父の対決は最後、仇に我が子を預けることで和解する。
個人的に、
私も母子家庭で育ち、教師の仕事をしている関係で、ソーが子どもたちにパワーを与えて鼓舞するシーンに疼いた。
ダメ男が父親に成熟するための誘導者の役にナタリーポートマンがいる。『ジョジョラビット』の父親代わりのスカーレットヨハンソンの位置。ナタリーポートマンが、『garden state』みたいな映画でゼロ年代な演じてきたマニックピクシードリームガールの役をここで葬ったのだと思う。