せいか

ハロウィン KILLSのせいかのレビュー・感想・評価

ハロウィン KILLS(2021年製作の映画)
1.0
8/8、Amazon videoにて動画レンタルして視聴。吹き替え版。
数十年かけて平凡な町の災厄と化したマイケルが町を舞台に暴れるゾイみたいな話。

これが直近のハロウィンシリーズの一番最新のだと思ってろくに下調べせずに借りたが、直接的にはこれよりさらに前作があったようだ。この最新のシリーズは最初の無印からの長大なシリーズ全体をまとめつつ40年後の世界を描いたもの。2018年のこの新しいシリーズ以前は全部観ていたつもりでもあったけれど、調べ直したら全然そんなことはなかったぜ!どこまで観たかも曖昧だぜ!であった。
前作観ないまま見始めたけれど、あらすじ眺めてから本作を観るだけでも何となく話はついていけた。


この最新シリーズは冒頭から妙に現代的なシナリオ作りというかシリアスさが勝っている。そこからして何となく嫌な予感はしたけれど、ハロウィンに表れるブギーマンを象った人間(仮)である化け物であるマイケルというシリアルキラーとローリーの終わらない殺し合いというより、なんかこう、妙にシリアスさが勝って話の規模もデカいというか。とはいえ、主題として描こうとしているものは面白い。

マイケルは町の人々を数多殺した恐怖の対象であり、憎しみの対象となって、本作ではとにかくそこのパニックさに焦点が当てられていて、マイケル=悪、憎しみの対象であり、彼を殺害せよと声を合わせる対象となっている。なかなかそこは気味が悪い。町という箱の中での怨嗟と恐怖が渦巻く話になっていて、自治もそこに呑まれている。彼女が言うように、ここでは社会の仕組みは破綻しているのだ。ローリーはそれを生んだ本人として自責の念に駆られており、重傷の身を押して動こうともする。
なんだかそういう意味ではまさにマイケルは真にブギーマンという純粋な恐怖そのものになって、ハロウィンの夜そのものになった感じ。人々は不条理なる殺人鬼に怯えるしかないのだ。長年のシリーズを通して描かれてきたものをまとめつつその歳月を利用してそれを表現せしめているのがこの最新シリーズの面白さだなあと思う。
マイケルだと勘違いされた男が人々に追い詰められて病院を飛び降りるところなど、このあたりのパニック描写がいい。つらい。
人々がマイケルというものを前にして善良さをはぎとり、混乱と怒りのままに暴力性を剥き出しにするという描写、人々自身を怪物にするという表現、この一点がとにかくいい。
40年前のマイケルを追っているときにうっかり同士討ちをした警官のミスを上司が隠蔽していたり、人々が人を殺すことに躊躇いをなくして正当化することで相手をとにかく追い詰めていたり。社会の仮面を剥ぎ取り、人々は狼狽える段階になってからわずかに恥を覚えつつもやはり自らを正当化もする。
終盤でローリーの娘を追ったマイケルが群衆の中におびき寄せられてリンチをくらうときに、群衆の一人が「きょうは ハロウィン 誰もが恐怖を楽しむ日だ」とか言っていたのも刺さる。結局、マイケル無双が始まるわけだけども。

作中で幼少期のマイケルがよく窓から外を見ていたという話の中で、実は窓に映る自分を見ていたのでは?という作中人物の考察があったときには、なるほどなあと思った。外の世界はその目には映らない閉じた世界があって、彼は代わりに何かを見ていた。

表面上は平和で何事もなく見えていたはずの町はそれ自体が仮面で、その下にはいくらでも恐怖が潜んでいて、群衆が蠢いている。恐怖は力付くでは倒すことはできない。ローリー曰く、彼は人々を分断する悪なのだ。「目をつむって見えないふりをしても 奴はそこにいる」。

ラスト、かつて自分の家だった跡地に建てられた家の二階に再び立ち、窓ガラスを眺めるマイケルと、病院の窓ガラスを眺めるローリーが対置されるシーンが印象深い。窓は外を見るものでもあり、鏡でもあり、向こう側と隔てるものでもある。

最初はこれ面白く観れるかなーと心配になったが、おおよそ楽しめた。繰り返すように、長年かけてきたシリーズを踏まえる意味を持たせてマイケルという存在を災厄そのものに引き上げて人間社会の闇を映そうとする向きは好感がもてるしそういう主題は好きだ。闇を映すガラスのイメージが貫かれているとは思う。
ハロウィンの夜はワイルドハントたちが駆け抜けて季節は冬へと向かう。この中で荒れ狂うのはここでは大衆たちでもあるのだ。

というか、そういう意味ではこのkillsだけでまとまり過ぎているのであえて前作と次回作を観なくてもいい気持ちにもなってしまうのだけども(特に前作)。
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