春とヒコーキ土岡哲朗

ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバーの春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

残された者である自分がどう思うか、を大切にすればいい。

喪失感を癒す話。亡くなった人が、これから生きる人にどうしてほしいと願っていたか、という考え方を否定したのがよかった。前作主演のチャドウィック・ボーズマンが若くして亡くなったことに向き合う映画。それをもし、故人を褒めることで映画を作っていたら嫌な金儲けに感じたと思う。でも、残された者目線、残された自分たちの話であることが、正直だったと思う。
ストーリーの中では、ティ・チャラや劇中で亡くなったラモンダが残ったシュリにどうしてほしいかなんて、そんなものはもうない、と言い切る。亡くなった人への思いを踏まえて、「自分がどうするのか」だけがある。その現実的な主張が響いた。
突然の別れは理不尽で、立ち直る術なんてない。人間は、世界にそんな理不尽をされながら生きるしかできない。この映画では、その現実の受け止め方が、「故人が天国でどう思っているか」なんて言うよりも誠実だった。解決策はなく、せいぜい残された者同士で共感し合うことしかできないが、それが癒しになる。今生きている人間の支えになるのが一番大切。

いまさら復讐に走る展開はいかがなものか。シュリが復讐にかられてダークサイドに半分堕ちてる状態で最後の戦いを迎える。その前にキルモンガーが「お前の兄は、父を殺した者を許した」と『シビル・ウォー』での件を振り返るが、それでなお復讐に走る。そんな間違った思想のもとで始まる最終決戦は、かっこいいアクションシーンがあっても気分が上がらない。
しまいには、弱ったネイモアに爆発を浴びせるタイミングでシュリが「ワカンダ・フォーエバー」と叫ぶ。タイトルにもなっている大事な言葉を復讐の攻撃で使ってしまうのはショックだった。だったら、復讐したい気持ちの描写は少な目にして、「兄はどうしてほしかったのか」に囚われたシュリがそれを振り切る話としての葛藤をもっと見たかった。