猫マッチョ

喜劇 愛妻物語の猫マッチョのレビュー・感想・評価

喜劇 愛妻物語(2020年製作の映画)
5.0
2020年度お気に入り映画館賞

喜劇と悲劇の違いとは何であろうか?辞書で正しい言葉の意味を探しても良いが映画の場合は『視聴者自身が主人公と同じ立場に変わりたいか?』に尽きる。人生を交換しても良いなら喜劇で嫌なら悲劇だと考えると分かりやすい。



旦那はクソ人間である。妻を愛しているからSEXしたいのではなく、何だかムラムラきて何かに突っ込みたいから手頃な妻で性欲解消させようとしている。性欲が爆発しているとモテ男は都合が良い彼女という大義名分付きのセフレか彼女、モテない金がある男は風俗で金が無いなら右手か両手か慰安婦である妻で解消している。

旦那がSEXに対して燃え上がっているのが分かるように中盤までの各シーンで性的対象年齢の女が登場している。女子高生がこんな場所に居ないだろ?って場所にまで登場している。
また、妻に対してムラムラしているのではなく、外出した時に性的な体のラインが出てる女を見かけてムラムラして突っ込みたくなって、甲斐性なしだから妻で我慢してスッキリさせたろって考えであることからクソ人間であると証明できる。

妻もクソ人間である。アルコール中毒かのようにガブガブ飲んでいるのは自己コントロール出来ていない証拠である。『好き』の言葉があれば理性で止めることも出来ずにダラダラしてやっつけ家事でどうにか家庭を守っている。また、子供がいるにも関わらず子供を優先して考えずに自分の感情(ムカつき)を子供にポストプレーして旦那で発散させている。

〇〇ちゃんも旅行行きたいよねー、と子供が旅行って概念が理解できるわけないのに自分の欲望を腹話術で子供に言わせて、旦那に主張して『子供のため』という名の『自分のため』を優先している。
子供にとって母親は唯一神だから否定することは出来ないから自分の思いのままに子供の主張を自分の主張と混合できることからもクソ人間であると証明できる。


この二人はクソ人間の夫婦であるが、でもその生活も良いのじゃないか?ってのがこの映画の本質で喜劇である意味がある。



妻はアル中でも子供の相手はしているし、家事もしている。旦那も働く意思はあるし、家事も子育てもソコソコは手伝って二人とも家庭を崩壊させようとはしていない。
金は無くても本気で生きているからこそ
男は性欲を爆発させてでも他人と関わろうとしていて、女も喜怒哀楽の起伏が異常なほど激しい。この映画を悲劇と受け取ってしまう想像の貧困さは現代の結婚生活の貧富を含む多様化を許容できてない証拠である。

理想の結婚となれば男性は家庭的なドンファンで女性はシンデレラの優雅な生活を目指してしまっている。男は家庭を持ちつつ外で愛人を持つことを理想として、そのために天井知らずの年収を追い求めている。女は華やかに着飾って化粧することで面食いの王子から外見だけで選ばれて女王のような家事育児を他人に任せれる生活を追い求めている。

ドンファンの服はスーツだが、スーツのまま日常生活をおくるなんて不可能だろう。シンデレラの靴はガラスの靴だが、ガラスの靴のまま日常生活をおくるなんて不可能だろう。
それよりもスウェット.とスニーカーで生活しても良いじゃないか。


スーツやガラスの靴でダンスをしたらスーツはボロボロのガラスはパリパリになってしまう。生活しながら踊ることもできるスウェット.とスニーカーで楽しい生活も一興だろう。
ガラスの靴じゃ冷たくてまともに踊れないし、スーツだと肩幅がきつくて楽しく踊れない。
猫マッチョ

猫マッチョ