フライヤー

巴里の屋根の下のフライヤーのネタバレレビュー・内容・結末

巴里の屋根の下(1930年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

近所の人たちと楽譜を見ながら輪になって道端で歌っている最初のシーンが良かった。自分は毎朝讃美歌を歌う高校に行ってたため、やはり目的が一緒ではない人たちとざっくばらんに歌を歌うということには、それなりの意義があると思った。アパートの人が各々の部屋でみんな昼間の歌が頭から離れずに歌っているところは平和以外のなにものでもなかった。

ベッドで寝てる女を襲おうとして、これは俺のベッドだぞいやなら外で寝ろっていう主人公、紳士の欠片もなくて笑えた。その攻防戦の様子は初々しくある程度の年齢の人からしたらなつかしさを感じるのではないだろうか。そして女心はいつでも移ろいやすい。

せっかく活けた花を警察に床に捨てられる足のアップのシーン、そして、主人公の眉毛の下がった悲しい顔。そして、警察に捕まっている間、彼女は親友と恋人になる。部屋には彼女が忘れていった鏡や、床に散らばったままの花。まるで、ひと時の儚い夢だったような心地だろう。

ナイフでの決闘のシーンは、殴りかかると同時に電車の汽笛の音や騒音が聞こえて、うまいサイレント映画の演出だと思った。また、暗闇だったが、車のライトが照明代わりになり姿が見えたところもよかった。ほかに女はいないんだろうかと思う主人公と親友の乱闘のシーン。ただの盛り上がるBGMかとおもったら、レコードの調子が悪く同じところを何度も流れていてここも面白いポイントだった。

最後は、登場人物はガラス越しの部屋の中で、映画を観ている我々は何をしゃべっているのかわからないシーンがあった。サイコロを振って勝負をして主人公がサイコロを一つ動かしてわざと負けていた。主人公の切ない身の引き具合が何とも言えなかったが、しかし、この終わり方がなかなか洒落ていた。そして、翌日、主人公が元気に歌っている姿があり、やはり歌は前向きに進むための道を照らしてくれる力がありそうだと思った。