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ナチュラル・ボーン・キラーズ ディレクターズカット版のblacknessfallのレビュー・感想・評価

4.5
皆さんはあれだよね、己の映画愛から溢れる思いや滾った感情を頼まれてもいないのにFilmarksに記さずにはおれない普通からオーバードライブした映画好きなわけじゃないですか?
だから絶対あるはずだよね、ドハマりした映画のキャラとまったく同じ衣装買ったり作ったりしたこと?そしてその衣装を着てデートや合コンとかに行ったことあるでしょう!?
恥ずかしがらず正直に言ってほしい、決して嗤ったりはしないから。そう嗤えるはずがない。おれはこの映画のウッディ・ハレルソン演じるミッキーにドハマりして完コピして当時付き合ってた女性とデートしてた男だから。

その女性と一緒にこれを観に行き、彼女の方も感銘受けてたからてっきり喜んでくれてるのかと思いきや、どうも一緒に歩くのが恥ずかしかったみたいで一刻も早く止めてほしかったらしい、、
後日共通の知り合いの女性から「赤レンズのサングラスとか正気とは思えない」「オールバックが全然似合ってなくてイタい」「でも本人(おれ)がご満悦だから言い出せない」等、彼女が色々愚痴ってたと聞いてショックを受けた、、笑

まあ、ミッキーのコス以外にも色々不満はあったらしいんだけど、これがトリガーとなって何回目かのミッキーになってからのデートで別れ話を切り出されて交際終了に。
そんなにいやなら言ってほしかったよ、女性を失ってまでコスプレ取るような映画者じゃないからスパッと止めたよ、そんなの🥺

そんなことがあったので『ナチュラル・ボーン・キラーズ』は大好きな映画なんだけど、当時のことを思い出すのでここ10年ぐらい観てなかった。それでも5回は観てるんだけど。

もう30年近く前の映画になるけど、他のオリバー・ストーンの映画に比べて古臭さをあまり感じない。
編集がソリッドだしアニメを随所に導入したり、カメラの色調を入れ換えたり、とてもテクニカルでタイトなんだよな。そしてパワーが漲りまくった過剰な演出。登場人物達の狂騒的でアッパーな演技。全てが過剰で特濃。何より画面以上にメッセージ性が過剰で過激。

オリバー・ストーンはミッキーとマロリーの殺人カップルがマスコミにセンセーショナルにおもしろくおかしく取り上りあげられることでスター化し、本人達もより暴力に狂っていく姿を画くことで権力や政治の監視役としての役割を放棄し堕落したマスコミと暴力の残虐性を批判する意図があったらしい。

マスコミ批判はかなり効果的に画けてる。おもしろい画が取れ視聴率を稼げさえすればいいという欺瞞的な姿勢がよく出てる。ミッキーの獄中インタビューをテレビ中継するキャスターのロバート・ダウニー・Jr.がこれを象徴してた。ミッキーから過激な発言を引き出して視聴率を上げることしか考えてないゲスっぷりがロバート・ダウニー・Jr.の確かな演技力でしっかり伝わってくる。

そこは流石熱血メッセージ発信オヤジのオリバー・ストーンなんだけど暴力の残虐性の告発は完全に失敗してる。
あまりにも映像がかっこいいため暴力行使にカタルシスを感じてしまうのと、何よりミッキーとマロリーの殺人カップルが世間の欺瞞性を暴くトリックスターのように見えることが致命的。
この二人が殺人カップルになる切っ掛けも父から性的虐待に遭ってるマロリーを助けるためにミッキーが父親を殺すという二人に感情移入しやすいものになってる。このシーンのカタルシスで観る側は彼等の目線になる。
そしてミッキーの思想性、マスコミも大衆も善人面しながら下世話な話に耽溺して誤魔化しの人生を送っている。俺達二人はリアルな時間を生きてる。殺人に誤魔化しは一切ない。極論だけど実際たいていマスコミも大衆も都合の良い嘘に飛び付き耽溺してるもんだから説得力がある。

映像のスタイリッシュさとパワーでミッキーの思想に強い訴求力が出てしまってる。
それが証拠にアメリカでは公開から不定期的に映画に触発された若者が殺人を犯す事件が頻発した。
触発された人間が犯罪を犯すのは、社会や大衆の欺瞞に挑戦的な姿勢を取る映画にはよくあるエピソード。
古くは『時計じかけのオレンジ』『タクシードライバー』近年だと『マトリックス』『ダークナイト』どれも傑作ばかり。つまり『ナチュラル・ボーン・キラーズ』もこのクラスの傑作だと言える、危険なエモーションを喚起する意味において。なので、おれなんかコスプレだけ済んでるからマトモな方なんだよな笑
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