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春画と日本人のQTakaのレビュー・感想・評価

春画と日本人(2018年製作の映画)
4.0
イギリス・日本で開催された春画展を巡るドキュメンタリー映画。
それは、春画そのものの紹介にとどまらず、江戸時代以来の春画の社会における存在と、現代社会における春画から、現在・未来の日本における”表現”のあり方まで思考する内容だ。
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そもそも、なぜ春画なのか。
春画ってなんだ?
ここから始まる。
まさに私などにとって、春画は未知の領域だ。
でも、そんな多くの日本人にもこの物語はとてもわかりやすい。
”物語”と書いたが、このドキュメンタリーには、ストーリーがある。
それは、現代社会における春画発掘ストーリーだ。
過去の遺物でもなく、現代の秘匿物でもなく。
春画そのものを、現代社会において、きちんと居場所を見つけていく物語だったと思う。
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大英博物館で開催された春画展。
世界が認める博物館で、英国のみならず世界の人々が認めた日本の芸術がそこにあった。
しかしながら、それを日本で日本人が見ることには、いくつもの壁があった。
そこに有ったのは、法律の壁ということのみならず、もう少し面倒な日本人の辿った歴史の問題があった。
江戸時代、春画がごく当たり前に日常的に存在していた頃。
明治になり、開国し、世の中が変わり始めたときに、何かを間違ったのだろう。
春画が、影に押し込められ、取締の対象にされていった。
法律というお上の言葉によって、庶民の生活が偏向されていったのだろう。
極々当たり前のことが、当たり前でなくなっていった。
その後、春画は浮世絵と共に西欧の美術界で取り上げられていく。
それは、アートとして類稀な意味を持っていたということか。
そして現代に至る。
今、私たちに、春画を見る機会は与えられるのだろうか。
このドキュメンタリーは、いよいよクライマックスへ向かう。
それは、日本での春画展の開催。
紆余曲折の中に、現代日本の春画を取り巻く状況が明らかにされる。
それは同時に、広範な表現の自由に関わる問題であることが見えてくる。
そして、永青文庫・京都細見美術館での開催。
許されたのは、この2回のみ。
この物語は、そこで終わっている。
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現実には、おそらくこの物語は続いている。
本作の中でも、法律の壁とは別に、多くの人々の中に壁が有ったことが証言されている。
その”壁”とは何だろう?
このドキュメンタリーが制作された一昨年(2018年)と現在(2019年)では、状況は変化している。。
2019年は、多くのことが露呈してきた一年だった。
芸術表現の場に、権力が介入してくる場面が露骨に現れた。
あるいは、そのような権力の介入に合わせるように、民衆の中に、あるいは表現の場に関わる運営者の中に、「あるべき判断姿勢」が問われる風潮が蔓延した。
つまり”忖度”だ。
本作において問題となった”表現の自由”と”見えない圧力”の構図は、この一年であらわになった。
一度は開催され、公に鑑賞できた”春画”が、この一年の情勢の変化によって、再び影に隠され、私たちの目の前からいなくなってしまうのだろうか。
たった一年なのだが、様々な事が起こった一年だった。
その中で、このドキュメンタリーは、一際輝いて見えた。
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