じゅ

アラビアンナイト 三千年の願いのじゅのネタバレレビュー・内容・結末

3.3

このレビューはネタバレを含みます

まあ、ティルダ・スウィントンとイドリス・エルバが主演ですって言われりゃ行くて。


アリシア・ビニー博士は文学を専門とする研究者。親兄弟はおらず、夫とは離婚して久しい。イスタンブールのカンファレンスの土産にガラスの小瓶を買い、ホテルに持ち帰った。瓶を磨くと黒いもやが溢れ出し、部屋に収まりきらないほどの大男に姿を変えた。男は魔人(ジン)。人間の願いを3つ叶えることで得られる自由を求めていた。
ジンは(とりあえず人ほどの大きさに姿を変えて)アリシアに彼自身の物語を語った。シバの女王を愛していたが彼女の心はソロモン王に奪われ、優れた魔術師でもあったソロモンにより瓶に封印されたこと。2500年の時を超えてオスマン帝国の皇子に恋する女の手に渡り封印から解放されるも、権力争いに巻き込まれて皇子と女が殺され再び封印されたこと。幾百年の後に老いた商人の若い妻により解放されたものの、ジンが彼女を愛してしまったために"自由"を恐れて3つ目の願いを拒み、再び封印されたこと。その瓶は今アリシアの手元にある。
アリシアは願いを告げた。彼女がジンを愛し、ジンが彼女を愛すること。アリシアはジンと共にロンドンへ帰った。ジンが見た世界は最後に封印された200年前から大きく進歩しており、もはやジンは役目を終えたかのようだった。しかしそれは工学の話で、人間は未だ矛盾を抱え困惑するとアリシアは言う。
ある日、アリシアは今にも朽ち果てようとしているジンの姿を見る。アリシアは、この世界がジンにそぐわないのならどこか別のいるべき場所へ行ってほしいと願いを告げた。3年後、公園で物語を綴り帰ろうとしたアリシアの前には彼の姿があった。彼はアリシアとしばらく共にいてはまた何処かへ去り、そのうち再び現れる。アリシアは生きているうちに彼が再訪すればよいと思う。それで幸せだった。


物語とか魔人って何なんだろう。過去から現代にかけてどういう役割が変わってきた、あるいは変わらないできただろう。そこに愛とか願いというものはどう関わっているのだろう。
いつものごとく俺の頭の中は全然纏まってない。

1コあった観点は、科学技術の発展と物語の衰退みたいな話か。
最初の国際会議の場でもアリシアらが語っていたように、世界のことがいろいろと解ってきて説明がつくようになってきた。我々の世界には朝とか夜とか春夏秋冬があって、疫病がある。かつてはそれを説明する術は物語だった。名前をつけて、神だの悪魔だの実体を持たせて、これが正体だとしていた。でも今は、地球は回りながら太陽の周りを楕円軌道で動いていて、目に見えないほど小さい有機体がいることを知っている。そうすると、○○を司る神だの、□□をもたらす悪魔だの、我々の手に負えない事柄を"説明"していた物語は役割を終えていく。

でも、本当にそうだろうか。物語は必要とされなくなるんだろうか。
少なくとも個人的には、工学部の出が言うことでもないかもしれんけど、興味深さとか浪漫みたいな価値があるから物語は役割を追えることはないと思いたい。物語とか儀式とかそんなん聞くのめっちゃ好きだし。まあそんなことはどーでもいい。
アリシアが言った通り、物語が役割を終えていくとしてそれは理工学で解決できるものに限った話。説明のつかない何かに物語という姿形を与えるなら、あるいは制御できない混沌から救われるために物語が産まれるなら、そんなものいくらでもある。それは愛だったり、欲望だったり。
ついでに言うと、戦争に明け暮れる君主に剣を置かせたのは、酒ではなく優れた語り部だった。

物語と魔人は役割としては一緒だったのかもしれない。片や言葉で、片や火でできた何かだけど。要はたぶんどちらも人の手に負えない何かを解決する手段なんだろう。
では技術の進んだこの時代なら、生きた人間の頭の中を見ながら致命的な出血を止めることだって遥か昔に命を終えた遠く離れた星のささやきを拾うことだってできる今の世の中なら、ジンに頼らずとも願いを叶えられるんだろうか。もう手に負えないことなどないのだろうか。ジンはもう必要とされないのだろうか。
とてもそうは思えない。(俺は猫と話せるようになってないじゃないか。)
思えばジンが叶えてきた願いは技術云々ではどうしようもないものばかりだった。遥か高い身分のあの人の愛が欲しいとか、あの人の子供が欲しいとか、あらゆる知識が欲しいとか、新たな知識を生み出す思考(みたいなもの)が欲しいとか。

だから、物語とか魔人が役割を終えることはきっとないのかもしれない。
現に本作の"物語"が語られたのだって、飛行機が飛び交ってフィンで海を泳いでスマートフォンで愛の歌を聴く現代を「遥か昔」と言うくらいには遥か未来でのことだった。物語は生き続ける。


ジンの楽園では互いに物語を伝え合うのだと。物語とは呼吸であってどうのこうのとか。物語とは人間の満たされない思いでそれが魔人の生命力だ、ってかんじなのかな。

俺も知識と発想力とあらゆる国の言葉を操る能力ほしい。イスタンブールにガラスの小瓶買いに行こうかな。


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そういえばいつだったか、イドリス・エルバがモヤになって封印されるような映像の予告はどこかで見たことあった。予告された映画の題名は見てなかったけど、本作だったのか。
そのしばらく後に同じくエルバ主演の『ビースト』が公開された時は「ライオンと闘う&モヤになるってどういうコンセプトなん?」とか思ってた。(『ビースト』は公開されたタイミングと合わなくて観に行けなかった。)

てか改めて『ビースト』のポスター見たら、くそでけえライオンに丸腰で突撃してるのいかつすぎて笑う。あんたワイスピのホブス&ショウのブラックスーパーマンさんじゃないでしょw

そのうち観ておかんとなあ。
じゅ

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