喜連川風連

シン・ウルトラマンの喜連川風連のレビュー・感想・評価

シン・ウルトラマン(2022年製作の映画)
4.0
フェティッシュ庵野&樋口炸裂!我らの庵野が帰ってきた!

最序盤からウルトラQのテーマに始まり、特捜隊のテーマ!オマージュの数々に胸が熱くなる。

だが、それが本題ではない。この映画はウルトラマンに見せかけた「長澤まさみ映画」なのだ。ありとあらゆるアングルで長澤まさみが切り取られる。もはやシン・マサミと言った方がいい。

初登場から、背中のアップ、顔の超アップショット(東宝の巨大スクリーンだと毛穴まで見えるのではないか?と思う)

パッと見、エロくないが、見る人が見れば変態にしか見えない撮り方が続出する。

気合を入れる時にお尻を叩く演出など全くもって必要ないにも関わらず、どアップでお尻を叩くシーンが何度も挟まれる。スパンキングを想起させてあまりある。

さらには、某マンガGIGANTよろしく、長澤まさみが巨大化し、わざわざスカートを履いて、キック!それを盗撮する大衆!なんという変態プレイだろう。これで何かに目覚めてしまう少年が多発すること間違いない。

極めつけは何日も風呂に入ってない長澤まさみの香りをウルトラマンに嗅がせる。

光の星から来たヒーローに何させてるんだ(笑)

それに感化された?ウルトラマンが地球人のためにその身を捧げる。

臭い長澤まさみを想像して、興奮する人が全国に大量発生することだろう。

平成、いや令和の時代に昭和の香りがする「お色気」シーンが多分に挟まれ、これが全国300館以上で上映されるという事実に胸が熱くなる。

長澤まさみさんをよく見ているとそう、ウルトラセブンのアンヌ隊員ひし美ゆり子さんにそっくりなのだ。

庵野さんが憧れた、いや、全てのウルトラセブンファンが憧れた(誇張)アンヌ隊員を50年経って、弄ぶフェチズムが炸裂している。

映画LOVE POPで女子高生の舐めた飴玉を持って帰るおじさんを描いた気持ち悪さに通じる、フェチが全国上映で炸裂している。

こうした事実にニヤニヤしている間に映画は終わってしまった。

庵野氏が1番好きだというメトロン星人(正:ザラブ星人)はもちろん登場。メトロン星人との対決は夕方ではなかったものの、真横からのアングルは当時のオマージュか。

禍威獣というネーミングや、それに即応する政府など、シンゴジラ風味はあるものの、シンゴジラにあった日本的会議のリアリズムはテーマとして抑えめ。エンドロールに政治家の名前が今回はなかった?ため前回のインタビューを生かした形か?よってシンゴジラほどのカタルシスや爽快感はないが、総じて満足度は高い。政治ドラマとしての価値は低め。フェチ映画としての価値は高い。

シンゴジラのテーマとは別に「成田亨さんが描きたかったウルトラマン像」がテーマとして浮上している。

成田亨さんがウルトラマンを造形する際、参考にしたという弥勒菩薩を元にして物語が展開していく。

ウルトラマンは数百万光年離れたM78星雲からやってきて地球の人々を救うという設定があるが、弥勒菩薩も釈迦が入滅して56億7000万年後にこの世を救いに来られる。

同じ人間だと語るウルトラマンも、人間から見れば、科学技術が追いつかなければそれは神の所業に見えるだろう。

だが、宇宙人と地球人の狭間に立ち、どちらでもない共存の道を人類に示す。

それをめぐる国家感の動きはこれまでのウルトラマンではあまり言及されてこなかったところで面白かった。

CGをフルに生かした飛行シーンのダイナミズムも現代ならではで、爽快感がある。

ゼットンという大災厄に対しては、科学者が力を合わせて立ち向かう。そこにインターステラーのようなカタルシスはないが、その様はコロナ禍に全力対応する世界を思わせる。だが、撮影はコロナ前らしい。

カラータイマーのない「本来の」ウルトラマンのデザインはあまりに美しく、なで肩の曲線美は東洋的な美しさを感じた。

説明セリフが多いのは、ウルトラマンシリーズのお約束だが、シンゴジラ的リアリズムを期待したお客には肩透かしだったかもしれない。

だが、女性的にもウルトラマン的にもアングル的にもフェチズム全開の映画を見られて満足だった。性消費云々の批判もあるが、白々しい。大衆消費社会を散々享受しといて、今更自分が潔白とでも言いたいのか?これがダメならこの世のアイドルコンテンツはほぼ全て性消費コンテンツに該当する。

倫理観や正しさは時代によって変化する。

今回、リアリズムよりも空想に寄ったのは監督が樋口さんだったからだろうか?

利己的なヒロイズムから自己犠牲的な利他的ヒロイズムへ。アンパンマンなどにもつながる日本的ヒーロー像の血脈を垣間見た!
喜連川風連

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