せいか

シン・ウルトラマンのせいかのネタバレレビュー・内容・結末

シン・ウルトラマン(2022年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

9/17、AmazonPrimeにて視聴。
この圧倒的ウルトラマンを見よとしか言えなくなる作品。愛せるか、人類を?
以下、ほぼメモに近い感想になる。

人を愛し人を知っていく宇宙人《ウルトラマン》のおはなし。宇宙人(外星人)という圧倒的外側の立場の存在がひとりの人間と融合して独特の視点から人間社会を見つめているのが本作なのだと思う。
また、神永の姿でウルトラマンはとにかく読書をしているのだけれど、あからさまに開示された本の書名がレヴィ・ストロースの名著『野生の思考』だったり、そこから何を示唆してるのかは明確にもされている。
神永のデスク上にはテトラポットの置物が並んでいたり、押し寄せる波という猛威から地上を守るウルトラマンとしてそこに現れていたり、逆に他者と壁がある特に序盤の彼(=本物の神永も含む)というものがよく表れていると思う。

私はシンゴジ→シンカメ→シンウルの順で観ることになってしまったが、シンカメ時点で思ったけれど、素直に公開順で観たほうがいい三部作だと思う。直接的な繋がりは(たぶん)ないが、テーマや方向性の比較となると繋がりがあるし、特にシンゴジ→シンウルは冒頭を観ただけでも分かるくらいほとんど地続きになっている。
ウルトラマンはシリーズ全部はとても観れていないが、一部シリーズは通しで昔に観たことがある程度で、特にのめり込んでいるわけでもない。本作でリブートされている『ウルトラマン』も視聴済みだが、そんな調子なので明確に比較できるほどではない。あと個人的にセブン派なので……。セブンなら神永の死を発見したときとかあからさまにアワアワしたに違いねえんだ。
あと、本作を観てやっと、ああ、ウルトラマンって宇宙人だけどグレイのイメージが汲まれてたのかなということに気がついたりもした。いまさら。


本作は冒頭ではトントン拍子に描写される怪獣来襲とその撃退によってかつてのシン・ゴジラを思い出すような、日本の国民たちが一致団結して脅威に立ち向かうことになった様子が描かれる。そしてシン・ゴジラでも現実と比較してちょっと泣いたように官民学がみごとに連携して脅威に立ち向かう様子もやはりそこで開示されている。直接つながりがあるかは明示されていないが、オープニングでもシン・ゴジラからシン・ウルトラマンへというところが意識されていたりはする。ゴジラレベルの怪獣たちに対して再び人間たちだけの力で抗っているたくましさがここでも引き継がれているのである。ちなみに本作では怪獣は総評として「禍威獣」と命名され、その対策本部は「禍特対」と呼称されている。禍威獣はゴジラ同様、人間にとっては自然災害といった無思考的な脅威に近いが、それとは違って対応が必要になる形のあるものといった立ち位置にある。この世界の保険とか国の財政の分け方とかどうなってんだろな……考えたくないな……! 作中でもちょっと話に上がってたけど、防災大臣とかもだいぶ役回りが現実とは違ってくるんだろうな。日本を実戦場かつ実験場にして世界的に武器及び戦闘技術の向上もしてそうな怖さも感じるように描かれている。たぶんこれそれ以外の技術面にも変化はあるのだろうけれども。食料自給率とか輸入依存とか有り得そうな問題もやはり考えたくないわね……! でも、東京の都会としての機能なんかはもっと解体が進んだりするんだろうな。リスク分散せざるを得ないので。外貨とか資産運用とか円の価値もめちゃくちゃ影響出てそう。がんばれ……。なまじちょっと現実に歩み寄った話にしてるので、通常のウルトラシリーズ観てるときには特に思わない心配もする(たぶんウルトラシリーズにおける地球のヒューマン、国際的にも本作ほどギスギスしてない印象なのもある)。
また、禍威獣はなぜか日本にだけしか登場しない現状で、国際社会は閉じ込め政策的に傍観と責任を日本に押し付けているという設定でもある(ただ、ウルトラマン登場による宇宙人の存在が判明してからは干渉してくるようになる)。このため、核の問題などもこれに関しては雑な対応である。つらい。というかむしろそれでよく社会を維持できるな日本という感じである。あと、ある程度相次ぐ禍威獣の襲来で緊張感も少しなくなっているのか、あの人の選挙区だからということで事態を考慮しなくいけなくなったりなど、シン・ゴジラのときの逼迫感からの一体感は失せ、既に権力の腐敗、人類の怠惰といったものが垣間見えてしまっているのが本作である。大衆も同様である。ここでシン・仮面ライダーの話にやや移ると、そういう人間の話へと焦点が絞られていくのも道理だったのだなと思うばかり。本作はやはりグラデーションを描いて、ゴジラとライダーの中間に位置する物語なのである。
個を個として切り離しすぎるウルトラマン(神永)が結果的にエゴイストのように振る舞ってしまうことに対してバディーの浅見が要は人は支え合って社会を作って生きているのだと嗜めるところとか、やはり、シン・ゴジラからの三部作は根本的なところでつながってるのだなあと思った。
この浅見はよほどの関係がないと(というか、よほどの関係だろうと)バッドコミュニケーションにしかならない、気合を入れるために相手のケツをたたくとかの身体接触もしてたりもするのだけれども。

ウルトラマンが隕石のように落下してきて登場したときの、観ているこちらの安心感たるやなので、視聴者サイドに既に培われてきているはずの「ウルトラマン」というものの存在の大きさを知ることができる。その安心感はメタで、作品人物たちにとっては意味不明クソデカ生物で新たな脅威なのではあるけれど。
庵野監督らしいというか、説明によって現実感を演出するところが彼の作品にはあると思うのだけれど、ウルトラマンが光線を撃ったときに高エネルギーによって一帯のイオン濃度が高くなるというセリフがあって、ただでかいやつが戦う面での破壊以外にも地球レベルないし自然まで含めた生命的にはかなり危険なことになるということを表していて好感が持てた。ウルトラマンの善性はともかく、その戦闘行為は地球生物にとって甚大な害があるのである。その後は放射性物質の拡大がないように吸収しながら戦闘してくれたりもするのですが。
ちなみにこのときに吹き飛んだ物に巻き込まれて器となる主人公は死ぬことになり(たまたま逃げ遅れていた子供を助けるために危険地帯に入り込んでいた)、それを目の当たりにしたウルトラマンが彼を器として成り代わって生きるようになる。
本作はただ地球側サイドにおいてウルトラマン一強だとか、禍特対をはじめとする人間サイドはただのサポートとするわけではなくて、同時に人間たちも必死で頭を回して自分たちの土地が被る影響について考えたりしているとか、描写がいちいち良い。

強敵として出る星人にザラブがいてえげつないことしてるのだけど、なんかすごい見た目も言動もキュンキュンくるのでなんかすごく好きになっちゃった。
ザラブは賢いので人間以上に駆け引きも卒なく彼らのくだらない思考を先読みした行動をしてこの種の破滅を目論むのですが、そういう暗躍したがる人間の思考についての披瀝とか、人間だって自らの種に害なすものは排除してきたじゃないかとか、知性を持ちながら先を考えずに栄えてきたじゃないかという後ろ向きの人間評なんかも良い。それを多少なりとも目の当たりにしてすぐに否定するウルトラマンも良い。私としては滅んだほうがいいほうに加担しますが。スラッと縦分割されたときはちょっと切なかった。
そしてザラブの策略によって中盤手前で早々に神永=ウルトラマンであることは全国的に知らされることにもなる。
ザラブ戦からはやはりというか東京が破壊されることになるのだけれど、メフィラス星人の画策によって操られた状態で巨大化した浅見さんも街を破壊する描写もある。そして巨大化した浅見さんはガリバー旅行記のパロディーめいた警戒態勢を敷かれもする。
メフィラス星人はザラブ後の中盤に登場となるのだけれど、これが、あの、SNSでやたらとお見かけした……!という感動のほうが先にくる。メフィラスもザラブ同様、人間同士の諍いを煽る戦略を取る。地球の原生生物である人間の自滅を操作するところとかはセブンで有名なメトロン星人の回のアイロニーにもある点で、繰り返しにもなるだろうが、本作はそういう人間という生き物という枠でとことん焦点を絞っている。補足すると星人たちによる地産地消作戦は星間協定に基づくものなので、彼らの一般的なやり方としても示されている。メフィラスにとってはザラブもそのための素材として利用されていたに過ぎず、禍威獣を暴れさせることはウルトラマンを招くための餌で、彼にその正義を振るわせることで即ち外星人の圧倒的上位さを原生生物にこの上なく知らしめさせるという道化の役も演じさせもしたのだという。それで交渉がスムーズにいくように準備を整えたというわけで、本作のメフィラスは見た目だけでなく中身もやたらとスマートになっているという次第である。

ザラブとの戦闘後は神永は国際的に追われる身となって世界中が彼を捕まえて利用する考えで頭がいっぱいになる(プラスαでメフィラスが提示した戦力にも垂涎してもいる)。国も異例の手の速さで早々に神永を死んだ扱いにして地球人類としての立場を抹消して人権の適応外の存在にしたりと、冷静に現状を話す禍特対のメンバーによってザラブ登場以降にしろここにしろ、次々と人間の悪性が開陳されていく。
神永はメフィラスが(も)堂々と暗躍する中でその渦中に投げ込まれつつ、彼と接触する。その会話の中で次々現れた禍威獣はそもそも地球に放置されていたもので、その活動を煽ったのはメフィラスではあるが、目覚めさせたのは人類の環境破壊が原因であることが明らかにされ、ここでまたシン・ゴジラでも描かれたところが反復する。
メフィラスも人間という生命体を武器として利用する価値を見出してこれを管理したいという考えを持っているのだけれど、生命体そのものが破壊兵器として価値を見出されまでした人類とかいう存在の皮肉よ。人間の悪性も踏まえてこれを利用して適当に育み、好意を持ち、所有物としようとするメフィラスとかいうこじれたやつ、メフィストの名前をもじっただけある存在になっている。
ウルトラマンは星人たちも介しつつ人間を観察することになるのだけれど、どれだけ暗いものを見せられても人類を尊重して自分が上位存在だというので振る舞おうとは思ったりはしていないところとかの圧倒的光属性さで、結局人間もメフィラス星人たちがやろうとしてきたことを歴史上で演じてきて今に至ってるのも知識として知ってそうなのに、それでも躊躇わないのがウルトラマンがウルトラマン過ぎるというか、あくまで線引して俯瞰しているというか。
メフィラスとの共存を選んだ人類であろうとも、星間協定を結ぶ存在としては手出しはアウトになっても、その将来の危機を知っているからこそ半人間であるその立場から彼との敵対を選ぶというカードを即座に切ったりとか。ここまでくるともう、ウルトラマーン!!!てぶわっとして声を上げるしかないってというか。ウルトラマン!!!!なんて人間に(というか地球に?)そこまでしてくれるのか!!!!!(´;ω;`)
いずれ君自身がこの惑星に災いを招くぞと言われても、やっぱり即座に、「そうだとしても 私はこの弱くて群れる小さな命を守っていきたい」って言ってくれるのが、ほんと、かっこよすぎて、おれはセブン派なのに、なのにンアアアア!!!映画館で観てたらここでさすがにもう耐えきれなくなってたと思うので、ひっそりタブレットで観てて良かったなと思いました。特にここに至るまでにそのセリフの説得力を持たせる話作りをしてるわけではないけど、シン・仮面ライダーもそうだったけれど、そのへんは既にリブート元で長く培われてきたものを利用して組み立ててるんだろうなあ。仮にぽつねんと元のウルトラシリーズを一切知らない状態で観てたらこのへんの熱さはだいぶ違ったものになりそうというか、かなりライトなものになりそう。
自分の命を投げ売ってまで一人の少年を助けた器のことを理解したいがために禁忌に手出しをして融合したとかいう真っ直ぐさも含めて、ウルトラマン、ウルトラマンよ、ウルトラマン。

メフィラスが政府と結託することに合意を示してしまったので、ウルトラマンがこれに抗おうとするのは明確にこの国に対する反乱行為、敵対行為にもなる。それでも彼は何よりもここに生きる人たちのためにそれをやるし、その遂行は自分ひとりでは叶わないから禍特隊メンバーの協力も仰ぎ、結果、これには成功する。

次に来襲したのは掟を破ってあまりに人類に加担しているウルトラマンの代わりに地球の監視者・裁定者となったゾーフィで、彼は冷静に判断し、将来的には自分たち光の星のようなところまで成長する可能性はあるが、ウルトラマンの実態によって全てのマルチバースに人類の生物兵器としての価値が知られてしまったから速やかに今のうちに人類全てを刈り取るつもりだという意思を開示する。彼は最終兵器の類まで引っさげてきたのだけれど、彼を前にしてもやはりすぐにそれでも交渉しようとするのだよな。130億近く確認できる生命体が確認できる星があって、そのうちの一つが消えたところで「宇宙は何も変わらない」と処理できるゾーフィの冷酷さがピカイチなのだけれど(このへん、次回作のシン・仮面ライダーのベンサムの理論周りについての話みたいなのにも引き継がれる話でもあると思う)、やはりここも彼があくまで中立的だからいくらかマシなだけで、他の星人たちや何なら人類の判断基準と近しい残酷さがあるというか、本作、ひたすらウルトラマンに対して何度も何度も何度も、「それでも人間を守りたいと思うのか? 人間にそれだけの価値があると思うのか?」と問い続けていて、それでも折れないウルトラマンに救われるというと語弊があるのだけれど、なんかこう、ウルトラマン!!!!としかやはりうなれなくなるというか、そういうものがある。

このときに出る最終兵器はゼットンで、とことん初代ウルトラマンを踏襲しているというか(最終回に登場した宇宙怪獣)。ゼットンはほとんど宇宙に近い空中で準備を整えていくのだけれど、ウルトラマン登場以降はそれに頼ることを覚えてしまった人類は自分たちで解決するために自らの血反吐を吐いて抗うことよりもそれに頼り縋るために鬼電するばかりであったりとか、この終盤にはもはやシン・ゴジラのときに観られた人類の抗戦は見られなくなる。
人類は勝手に国連の場でウルトラマンを自分たちの共有財産として話を進めていたりとか、かなり横暴な態度も見せる。彼が従わないなら危害の矛先は禍特隊に向くのだと脅迫したりとか、ウルトラマンも言ってるけど、人間の良くない所業を直接彼に向ける。だからウルトラマンにそんなことをするなら自分が即座にこの星を滅ぼすという方法で交渉させることになったり、人間というものは最悪なやつである。何はともあれそれで要求は通り、ウルトラマンは対メフィラスのときと同様に禍特隊だけを味方としてこの星のために戦うことになる。シン・ゴジラがあまりにも懐かしい寂しさ。ただちゃんと本作、禍特隊の中でもすぐにネガティブ思考に陥る人物が他の人間たちのようにウルトラマンに仕事を丸投げして頼って逃げ出してその弱さに独りで後悔するところまで描いてるので丁寧でもあるのだけれど。
一人で立ち向かうことになったウルトラマンは圧倒的な力を前になすすべもなく敗北し、政府は、国民も外国の人々もゼットンのことは認識していないのをいいことにこのままみんなが終わることも良しと諦念する。その一方で禍特隊の船縁が隊の中で真っ先に悲観を示していた滝に、「生き延びたいから強くなる そのための知恵と力と勇気でしょ」と嗜めていたりもする。ここの彼女のセリフはシンシリーズ全てで貫いているもののうちの一つでもある。絶望するより希望していたほうがいいとかも、シンシリーズを通して言われるとあまりイヤミっぽくはなく素直に響くものがある。

もはや成長を待つ予断の隙もないため、ウルトラマンはメフィラスが人間に与えようとした武力を人間が自分たちの力で生み出せるようにその方法を示唆することで自衛力を持たせることにする(人間そのものが武力化するというよりも、今回の対ゼットンのために必要な方法の模索に近いが)。こうすることで人類を支配するのではなく、人類自身が自分たちで歩けるように引き上げたわけである(もちろん、人類はろくでもないものなので、かなりの博打ではある)。
そしてこの技術を用いてゼットンと立ち向かうには人類は諸外国のあらゆる頭脳や技術を結集させて一致団結するしかない。国の対立という障害がある中でシン・ゴジラでの人類の戦いの規模を文字通り世界規模にまで拡大しないといけないのである。そしてそれは速やかに実行されもする。
主に熱力学的な分野の解明によってゼットンを飛ばす方法は解明され、その力点としてウルトラマンの攻撃が必要になるが、代わりにウルトラマンもどことも分からぬ並行世界に飛ばされる可能性が高いことも判明する。ウルトラマンはそれでもやはり即断して、自分の命を捧げることも厭わない返事をする。ここまでくるとあくまで真心から言ってても怖いよウルトラマン!!!!一歩間違えば自己犠牲を本人に許容させる社会を見てるみたいだよ!!!というか、神永本人が見せた小さい子供一人を守るための自己犠牲への憧れみたいなものを感じるので、いっそ不健全だよ!!!て思いました。世界の片隅の未だ発達の遅れている小さな青い星を守りたいみたいな。
ウルトラマンはそうして亜空間的なところを漂うのだけれど、ゼットンの脅威がなくなって映し出された、ただ青空が半分以上占めるほど遠景に映し出された東京の景色が(あの東京の景色が!)美しく見えてしまうのだからすごい。

人間の心に溶け込み、生や死に対する思いを持ちながらただ漂っていたウルトラマンのその意識のためにゾーフィは無事彼を見つけ出し、人類とウルトラマンの奮闘を称賛し、人類も生かしておいたほうがいいという判断を下すことになる。
ウルトラマンはこのまま神永として地球に留まることを望む。人間のことを知りたいけどわからない、だからもっと人間として生きて知っていきたいのだと。どこまで真摯に向き合おうとしてくれるのかなのだけど、さらには、それでもウルトラマンは光の星に帰らねばならないと言われたら、地球はまだこれから先も危険にさらされている、だから神永に自分の命を与え、肉体を与え、自分は死のうという選択をやはり即決するのである。ゾーフィがそれを受けて言う、「ウルトラマン そんなに人間が好きになったのか…」が、もう、ほんまそれなであり、ウルトラマンがしつこく問われ続けていたものの答えでもある。
そして地上で仲間に囲まれて神永は目覚めて物語は終わる。エンディング曲がほんとずるい。なんでそこまでしてくれるんですか、ウルトラマン。


ただ、本作、他の二作には特に見られなかったことだと思うけれど、ヒロイン的立ち位置になるのだろう浅見のそういう意味での扱い方がややセクハラ的なところはちょっと浮くほど点在していて、そういえば放映当時そこで荒れてる話題もネットに流れてた気がするのを思い出した。渡しの場合は荒れるほどそれが気になるかというと微妙だけど、観ていて、なんだ?と思うレベルではあった。

あと同じ役者がたぶん別の役でシンシリーズに登場してるっぽいのだけど、次回のシン・仮面ライダーで政府の男として登場する二人が片方が竹野内豊、片方が斎藤工が演じていて、本作とのつながりを感じてしまうようになっている。全くの同じ世界というよりも並行世界とかなのかもしれないけれど。
せいか

せいか