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1917 命をかけた伝令のQTakaのレビュー・感想・評価

1917 命をかけた伝令(2019年製作の映画)
2.5
”ワンカット”映画であるが、戦争映画でも有る。
現実により近い時間の流れがそこに有る。
戦場に、カットは無く。
兵士たちに、終わりは見えなかった。
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ワンカット映画は、今までにいくつか見てきた。
『エルミタージュ幻想』(2002)
『アイスと雨音』(2017)
これらは、主に屋内の撮影で、限られた範囲で、工夫された撮影が有った。
一方、今回の『1917』では、すべて屋外で撮影され、そのカメラの動きはいちだんとダイナミックなものだった。
それは、実際の映像にも見られるし、メイキング映像でも確認できる。
それは、まさしく工夫の代物で、撮影に関して称賛されるのも当然かもしれない。
この”ワンカット撮影”について、ワンカットで撮りたかったのでは無く、「事実を”再現”したいから」この撮影をおこなったのだという。
一方で、役者たちはどうだっただろうか。
今回の主役二人は、聞いたことも見たことも無い若手の役者だった。
でも、それぞれにキャリアは有るのだろう、しっかりと演じられていたように思う。
その一人、ジョージ・マッケイはこう述べている。
『舞台の芝居と同じ。間違えたとしても演じ続けなきゃならない。」
そうなのだ。
舞台のお芝居は、毎回ワンカットで上演される。
舞台役者にとって、ワンカットは当たり前なのかもしれない。
その意味で、先に上げた『アイスと雨音』は、普段舞台を中心に活動している松井大悟が監督した、舞台にまつわる青春劇だった。それは、そのまま舞台として成立するのだ。
そう考えると、役者にとってのワンカットは、そう珍しいことでは無いのかもしれない。
一方で撮影する側は、そうはいかない。
目まぐるしく変化する舞台を用意しなければならないし、その撮影となるとさらにハードルが高くなる。
その意味で、この映画は困難を克服した映画といえるのかもしれない。
その撮影メイキング映像は、映画を見た後に確認すると面白い。
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ここまで映画の制作側に注目してきたが、肝心の映画はどうであったか。
正直なところ、語られるほど、あるいは解説されているほどに没入感は得られなかった。
何か、外れたところから見続けているような。
ドローンで追いかけているような視点から離れられなかった。
確かに、あの塹壕の中を駆け巡るシーンなどは、スピード感もあり、距離をぐっと縮めた部分などは迫力が有った。
しかしながら、映画として、「ここは切り返しのカットが欲しい」とか、「射撃してきた敵の側の視点が見たい」といった欲求が沸いてくる箇所もずいぶん有った。
つまりは、ワンカットにこだわるあまり、映画としての表現の幅を狭くしてしまったのでは無いかと思う。
それらの思いとは別に、戦場の描き方は、必要以上にエグイ物がたくさん有った。
累々と転がったまま腐敗し、ネズミに食いつかれている死体の数々。
それは、人間に限らず、馬や犬、牛に至るまで、とにかく死体だらけだ。
さらに、川に浮かんだ死体など、腐敗し、膨れて、見る影も無い。
そんな死体の中を、はうようにして進む姿は、なんともおぞましい現実に引き込まれる感じがした。
さらに、辺りが暗くなってからの戦場は、日中とは違い、そこらじゅうが闇に包まれている。
その闇の中の、廃虚の街を照明弾が照らし出す。
浮かび上がった廃虚の姿と、さらに闇。
燃え盛る建物の炎が、闇の中の敵と自分をあぶり出す。
この闇の街並の撮影も凄いと思う。
敵に見つかり、走り出す。
走る姿を照明弾が浮かび上がらせる。
この光の演出は絶妙だった。
川に流され、たどり着いた森の中に、目当ての隊が出撃前に待機していた。
朝霧の中、静かな隊員たちの中に響き渡る歌声。
この幻想的なシーンも印象に残る。
そして、最前線の塹壕へ…
友と共に走り始めたこの戦いの終着点。
指令文を届けた大佐(カンバーバッチ)の言葉が、この戦いの姿を示している。
「この戦争が終わるのは、最後の一人になった時だ」
"There's only one way this war ends—last man standing."
この戦いに勝者はいないだろう。
少なくとも、この戦場に、勝者の姿など無いのだろう。
不毛な総力戦が展開されたのが第一次世界大戦の真の姿だったのだ。
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ここまで感想を述べながら、本作への私の印象は全く良くない。
やはり、ここまでのダイナミックな展開を屋外で演出しておきながら、一つの視点で通すと言うのは、見ているこちらとしてとてもストレスがたまる演出だった。
主人公が建物から銃撃されるシーンで、一方的に打たれるこちら側の視点で展開するが、普通なら銃撃している敵側からの返しのカットが入るところだろうが、それも出来ない。
二人の主人公が敵兵を助けた後、一方が水を取りに行く間に、相棒が刺されるのだが、このシーンをカメラは正確に追っていない。
視点が一つで有るがゆえの歯がゆさがいっぱい有った。
そうこうしている内に物語はどんどん進んでしまう。
これもワンカットの弊害だろう。
つまり、時間を短縮して物語は進んでしまうのだ。
それは、物語をショートカットしてしまうし、それぞれのシーン(カットでは無い)がサラッと過ぎてしまっている気がしてならない。これは残念すぎる。
全体を通して、「浅いかな〜」という感想だ。
恐らく、このワンカットの視点に入り込めなかったのだろう。
それがすべての敗因だ。
もしかしたら、IMAXなら良かったのかもしれない。
座席がいつもと同じく、向かって左側中段だったのが間違いか。正面前方なら良かったのか?
多分、そんなことは無いだろう。
同じ第一次世界大戦を描いた他の映画と比べてしまったのかもしれない。
他の映画で見てきた、WWIの塹壕戦に比べて、整然とした雰囲気の塹壕は、それだけで違和感が有った。
あの整然とした塹壕と、その向こうに展開されている殺戮の惨劇の後。その差に違和感が有りすぎた。
どうもこの映画の始まりで、すべて決まってしまった感が有る。
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これからすぐにもう一本WWIを描いた映画が公開される。
「描いた映画」というより、当時撮影されたそのままの映像と言っていい。
”彼らは生きていた/They Shall Not Grow Old”
生の、本物の塹壕戦を見た時、一体何を感じるのだろう。
そちらを楽しみにすることにする。
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