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マーティン・エデンのmayaのレビュー・感想・評価

マーティン・エデン(2019年製作の映画)
5.0
これが観たかった!
これが観たくて今まで映画を観、本を読み、旅行してきた!!
イタリアという、観光地として古今東西美しさを謳われてきた国の、内面、本質である格差社会。階段をひとつ降りたところにある貧困。舞台をナポリにしたのは本当に大正解すぎる。カットインにあった旅行雑誌によく載っている「たなびく洗濯物」の裏側にある生活。あれを「旅情を誘う景色」と片付けて良いものだろうか?
原作は「どん底の人々」を顔を持った人間として鮮やかに描いている点が素晴らしいのだが、映画で尺がない分、実際のナポリの人々の顔を差し込むことで、マーティンの、上流階級の教養で成り上がろうとすると同時に、世界を知れば知るほどにその矛盾と理不尽への怒りが深まっていく様を見事に描いている。下町にエレナを連れて行って「見ろ!」というシーン、拒絶するエレナに、「沈黙し目を背ける教養に一体なんの意味があるのか」と考えずにはいられない。体力のない労働仲間と一緒に雇い主に中指を立て、演説台を寂しく去る老人を支えて寄り添う程に共感力を持ったマーティンには、世界の歪さを無視して閉じられた愛に陶酔するなんて絶対にできないのだ。なんて純粋で苦しく、エネルギッシュな知性だろう。
カラーテレビがあったり、第二次大戦を予感させたり、音楽の時代性がバラバラだったり、明らかに今のナポリで撮影してたり、時代がめちゃくちゃにモンタージュされているのが、本作のテーマが普遍的かつ現代的であることを原作より強く感じさせる。
大学を出て職につき、そこそこの教養を持って年に一度の旅行に行く程度には経済的な余裕がある身としては、エレナとマーティン、双方の存在を自分の中に感じた。
ちなみに本作、原作も含め、何度か見ているうちにエレナのしんどさに気づく。彼女はマーティンから見れば「深窓の令嬢」だが、同階級では同級生の男の子たちから明らかに「女は甘やかされてバカだよな」という軽蔑の視線を投げられてるし、母親の過剰介入は「家父長家庭の貞淑な妻ムーブ」だ。エレナがマーティンを教育しようとしたのは、初めて自分の意思が何かに影響を与えることができたからで、エレナがあんなにマーティンが定職につくことを希望したのは、つまらない女だからではなく、あのエレナの立場では夫の経済的破綻は自分の破滅に直結するからだ。マーティンのようにやりたいことをやって破滅するなら納得もいくが、エレナはやりたいことも、自由に生きる道も本当は持ち得ない、最も奴隷に近い存在な訳だし、それは本当は階級闘争と同じ構図なんじゃないだろうか?やはり私は彼女を「クソ女」の一言で片付けられない。
冒頭から本作の問いは投げられている。教養を深めた先に、格差社会という理不尽と闘う力は得られるのか。それとも目を閉じ、せめて自分の安泰に注力するしかないのか。本質を突かれて今はただ、呆然としています。
原作を先に読んでると「マーティンエデンを、ジンガロ、プリモらへんを演じたルカマリネッリにやらせたの、天才のそれすぎる、ルカマリネッリしかいないわ」になります。あと、脇役が本当出番少ないのに隅々まで凄まじすぎる。編集者とかニーノとか奥さんとか、ほぼセリフ無いのに全員描写がめちゃくちゃ深い。パンフ観たら全員納得の贅沢な役者遣いしてます。
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