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HOKUSAIのmoonのレビュー・感想・評価

HOKUSAI(2020年製作の映画)
2.0
[ 6月1日のレビューを書き直しました ]


私は6年前、小布施の北斎館を初めて見学した。北斎というと 「富嶽三十六景」しか知らなかった?くらいだったが、北斎館では北斎の多様な作品群と90歳まで描き続けたという 絵への凄まじい情熱に圧倒され、また、84歳超えて、江戸から小布施までの250kmを旅した!それも4度も❗という事実に まさに絵を描くことへ どれだけのエネルギーが北斎を動かしたのか!と ただただ その超人ぶりにひれ伏した。
そして、当時 北斎に関する番組が幾つか有り、ますます北斎に興味を持った。それ以後も北斎関係の番組は見逃さず、最近も かの有名な「神奈川沖浪裏」の波についての検証実験を行った番組を観たが、ハイスピードカメラで捉えた波の先端の波形が、まさに北斎が描いた鉤爪のようになっているという事がわかった!そして、あそこに描かれた三艘の船は実は一艘の船が波の状態によってどう波に乗るのかという 言わば一枚の絵の中に描かれたアニメーションだった!という事も検証された!なんという 鋭く正確な観察眼だろう❗またもや ひれ伏すしかない…!

そんな私は 「HOKUSAI」を非常に楽しみにしていた!田中泯さんが北斎なんて 期待しかない!

のに…何だ?コレ?

観てる間中 疑問とため息ばかりが私を覆っていた!ガッカリどころか、怒りにも似た感情。
そこに描かれた北斎は 私が知ってる北斎とは全く違う人間として描かれていると思った。納得出来ず、帰り道に図書館に寄り4冊の北斎関連の本を借りて来て、自分の違和感の正体を探った。

私が思う北斎は 絵を描く事だけに関心が有り、絵を描くためなら他のことはどうでも良く、死ぬまで絵の向上をひたすら目指して、死ぬ間際には「後10年…いや後5年長生き出来たら、真の絵描きになれるのに…」という言葉を遺した という、絵への情熱の塊。天才であり、超人❗

先ず 違和感が有ったのは 映画では若い頃の北斎は売れてなかった?そして、蔦屋重三郎に見出された? 写楽に嫉妬?である。そして、写楽の言葉から自身の足りないモノを見つける為に放浪し、遂に波を描く。そして蔦屋に認められる。
本当に?そんな事ある?

調べた結果、北斎は20歳頃にはプロデビューしており、ちゃんと普通に売れていた。蔦屋から本も出て居るが、蔦屋重三郎のWikipediaや北斎の年表の幾つかを見る限り、蔦屋とは深い繋がりはない!蔦屋は 歌麿や写楽を売り出した版元という事実が大きい。しかも、映画で描かれたように 当時の写楽が、北斎より売れていて、「ココにあるモノを描いておるのだ」などと上から目線で語るなど 全くの事実無根❗写楽の絵は当時 あまりに役者の特徴を掴んでいて、本人の欠点まで描いているという事で、庶民だけでなく、モデルになった役者本人からも人気が無く 売れなかったそうだ。そして、写楽の絵の完成度は尻つぼみに低下したようだ。写楽は10ヶ月で消える。なのに何故 写楽が今 もてはやされるのかというと、他の浮世絵と同様に陶器を包む(今の新聞紙的な)用途で海外に渡った先で、ドイツの評論家?の目に留まり、それが明治時代に評価が逆輸入されたからだという。

とにかく、そんな写楽より 北斎が劣っていたかのような描写は 全く いただけない!酷い。

もし、仮に本当に このような場面が有ったとしても、北斎は写楽のデフォルメを咎めたりするはずは無い。「北斎漫画」を後に描く事になるわけだから、デフォルメに関しては違和感など持たなかっただろう。
そして、若き北斎が蔦屋に見せた あの波の絵は「おしをくりはとうつうせんのず」という40歳過ぎに描いた絵だと思うが、蔦屋重三郎は北斎が37歳の時には亡くなっていた。「北斎」と名乗ったのも39歳から。蔦屋に見出されたという演出は 蔦屋重三郎の役に付加価値を持たせる為、演じた阿部寛さんに魅力を持たせる為のものだと感じた。

どれだけ デタラメなフィクションなんだよ!北斎に失礼だ!制作者は北斎を愛してない!

更に、北斎が卒中で倒れた時は68歳で、既に「富嶽三十六景」を描き始めてから五年程経っていた。北斎の史実や記録には北斎が、病に倒れるも、独自の薬を研究し飲んで、回復したとある。不自由な身で 旅したとは何処にも書かれてない!本当に 絵が描きたくて 描きたくて、その強烈な思いで 短期間で驚異的な 回復をしたであろう!北斎の90年の生涯を思うと それは奇跡でもあり、必然、当然とも思う。不自由な身での旅の方が、観る者に訴えるとでも考えたのだろうか?とんでもなく安い演出だと思う。

そして 最も酷いと思ったのは
「柳亭種彦」を北斎の朋友?のように描いた事!
柳亭種彦と北斎は種彦が25歳の時(北斎は48歳)に「阿波濃鳴門」なる戯作を北斎(挿絵)と作ったという記録はある。しかし、種彦は30代を過ぎると その後亡くなるまでの三十年間、歌川国貞という絵師と組んでいる。
それは 北斎から離れたのか?種彦の方からかは不明だったが、そういう仲の二人が 映画のような親しげな間柄ではあるまい!映画を見ていて一番腑に落ちないと思ったのは、北斎が 種彦の壮絶な最期を思って描いたとされた絵!あんな絵は今まで 北斎の絵として観た事はなく、もし そんなエピソードがあるなら もっと有名であっておかしくない!調べたら たしかに存在していた。が、これは 北斎の妖怪やお化けの絵のひとつに過ぎない。何故なら、よく絵を見れば首の近くに柄杓が描かれている。壮絶な死を思って描いたとしたらとんでもなく変な図柄(笑)
種彦が死んだのは 当時 天保の改革で 書物の版が差し止めにあい、そのショックで病に倒れ、亡くなったとの事。映画での種彦は 死ぬ事も厭わず、お上に逆らい 首まではねられる❗という重い罰に処せられたが、あんなのは 全くの作り話!嘘。もし、仮に処分が真実であったとしても、その種彦の屍を見舞いに行く程の恩も情も存在したはずは無い!北斎にして見れば、自分ではない絵師と30年間もつるんでいた戯作者である。しかも、種彦が死んだのは60歳である。瑛太さんの種彦はどう見ても40代半ば。都合良く 種彦の没年に あの絵が描かれたから 二人を懇意の仲としたに違いない!

何故 こんなフィクション=嘘を絡めたかというと、権力や芸術への取り締まりに抗う姿は、簡単に共感を呼べると考えたに違いない。写楽の件も「あの北斎も若い頃はダメな時期もあったのだ」と観賞者に共感してもらう意図かもしれない。が、

それこそ!北斎の真の姿を捻じ曲げ、冒涜してるとしか思えない!
せっかく田中泯さんが演じていても、北斎の偉大さは伝わらず、むしろ矮小化してると感じた!制作者は北斎をリスペクトしてないだろう!?

北斎は その作品を見て、素直に史実を追うだけで、その ほとばしるエネルギー、情熱に感動出来る天才だ!

絵を描く事が 北斎の生きる全て。

多分 北斎は 取り締まりに対しても、「困ったな」とは思っただろうが、抵抗する気はなかったのではないか。そんな事に心を砕く隙間は北斎にはなく、ひたすら 絵を描きたくて、描きたくて、そんな北斎を思った弟子の高井鴻山からの小布施への招待を 非常に喜んだに違いない。鴻山は北斎の為にアトリエまで建てた。そして、85歳から89歳まで4度も小布施に旅した!その間に描かれたのが、ラストの波涛の図。あれは 小布施の祭りの屋台の天井画で 計4枚描かれた。地元の村人に愛されたという。

フィクションだらけの北斎の生涯に感動出来るはずはない!

この映画を観た方々の大半は これが事実(史実)だと認識してしまうかもしれない。それが 一番 腹立たしい!
少しでも 北斎に興味を持ったなら 是非 本当の作品群を直に見て欲しい❗
そうすれば、「世界に影響を与えた人物100人」の中で 唯一日本人で選ばれたのが 北斎だという事に 納得が行くはずだ。

とにかく 浅い演出や嘘で固めたストーリーは 全く評価出来ない!むしろマイナスを付けたい!

ただ、演じた役者に罪は無い!それぞれが与えられた役を懸命に演じていた。その役者への点数が、二点。

特に 柳楽優弥さんの絵師としての佇まいは 非常に美しかった! 姿勢、筆の持ち方、筆運び、真剣な眼差し、どれもが 大変に優美で、見とれた!
この映画は二度と観ないが、柳楽優弥さんの佇まいは ずっと見ていたいと思った😊


北斎はタバコ 酒は飲まず、甘い物が好物で、生涯に90回以上も引越したという。北斎も栄も絵を描く事だけで掃除もせず、汚れて居づらくなったら他に移ったらしい。時には滝沢馬琴の所に身を寄せたことも有るようだ。雅号も30ほど変えていたそうだ。「画狂老人」もそのひとつだ。
北斎は旅が好きだったというから、ひととこに留まるのは性にあわなかったのかもしれない。名前を変えたのも そんな気持ちの表れかも…?小布施では、子供に絵を描いてやったり、毎朝 魔除けの絵(獅子が笑ったり、ムスッとしたり、その日の気分で表情が違う)を描いていたそうだ。北斎漫画など見ても、北斎にはユーモアも有って、ひょうきんな面もあったのではないだろうか?私が、思い描いた北斎は ただ ひたすら絵が好きで、常に 好奇心と向上心と 遊び心を持って描き続けた天才❗
甘い大福を美味しそうに頬張り、野の草花や市井の人々を 愛おしそうに観察し、やんちゃな表情で絵を描く…そんな北斎を演じる田中泯さんを見てみたかった。

北斎漫画の「漫画」とは北斎が「気の向くままに漫然と描いた画」とその絵を称していたそうで、後に付けられた言葉だという。漫画といっても、ストーリーがあるわけではないが、北斎の絵は 表情や動きがバラエティに富んでいて 見る者に楽しさや、物語を思い巡らせるような魅力があり、庶民に大変に人気があったようだ。
今や 日本の文化と言える漫画という言葉のルーツが、北斎だったという事が、凄い!
愉快。



[追記 6/1のレビューに書いてあり、6/9で書き落とした点に付いて ]

プルシアンブルーの絵の具を頭から浴びせるシーン。あれは 北斎に詳しくない方々に 意味が分かったのだろうか?
当時 オランダから入った人工顔料で、それまでの日本にはなかった色だった。北斎ブルーとも呼ばれた北斎が非常に好んだ色。「富嶽三十六景」の初刷は ベロ藍の濃淡だけの一色刷りだったそうだ。(全てではないかもしれません)
あのシーンは 鮮やかな「青」を手にした喜びを演出しようとしたと思うが、 高価な絵の具を 北斎が そんな勿体ない事をするだろうか? 有り得ない!描くでしょ!!すぐに❗
ほんとに 呆れた…。


若い北斎が、海に出て、波を見てすぐに海に背を向けて、砂に絵を描くシーン。冒頭でも やっていたが、あれは何?すぐに波に消される場所に絵を描く…?意味不明。
波を描くなら、じっと観察するシーンを描くべきでは?


お榮は 葛飾応為という名で、独特な雰囲気の絵(私はこちらも天才だと思う)を描いていて、北斎の作品の中にも、応為の作品ではないか?とされるものが幾つかあるそうだ。( 呟-くらら-北斎の娘というドラマで、応為が自分の絵に北斎の落款を押しているシーンがある…) 晩年には北斎を支え、ラストの波涛図も応為が共に描いたんでは?という説もあるくらい。その栄の存在が 脇役過ぎる!と思った。

2016年NHKドラマ「呟-くらら-北斎の娘」という お栄を主人公にしたドラマは、とても繊細に北斎とお栄の姿を描いていて素晴らしいドラマだった。


※ 書き直した時に過去のレビューを誤って消してしまいました💦
なので、過去のレビューにいいねをくださった方々、本当に申し訳ありませんm(__)m!書き直しの際に、落とした事があるかもしれませんが、ご了承ください。
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