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バウハウスの女性たちのmingoのレビュー・感想・評価

バウハウスの女性たち(2019年製作の映画)
3.9
バウハウス特集で一番見応えある。グロピウスは「年齢、性別に関係なく、誰もが学ぶ権利を持つ学校」として高らかに謳ったが男性優位の中バウハウスで才能を開花させ躍進に多大な貢献を果たした影の存在である女性たちの実態に迫る貴重な証言の数々、おもしろい!必見!!


杣田佳穂× 深川雅文トークメモ

6人のバウホイスラーたち。2002年に高井戸の小さなギャラリーでバウハウスの女性たちに焦点を当てた企画展を催し、アルマ・ブッシャーを紹介したい。ブロイヤーやディークマンとか他の作家たちと違うアプローチ。みんな織物工房に追いやられたが、ベルリンのライマンシューマで勉強してたがグロピウスに手紙を出した。「わたしは子供のためのデザインをしたいんだ。」と言った。その願いがすぐ叶えられた。なぜブッシャーは出られたのか、非常にタイミングが良かった。23年の議会から迫られて大展覧会を行われた。子供部屋のデザイン誰がやるんだとなっていたエーリッヒブレンデルがサポートして子供部屋を制作した。照明器具も、子供部屋の下半分の壁が黒板で出来ていた。子供に特化した家具をつくるというのが当時斬新でトップランナーであった。普段は思想から入るが削ぎ落として構成していくが、ブッシャーは子供たちの観察分析し、子供の発想の立場で創造力を伸ばすように作っていった。多機能的。「積み木を作るときは色が大事。」子供たちがコーディネートする最初の試練。白を必ず混ぜろと言っていた。決して嫌々織物工房されていたわけではなかった、あてがわれたのではなく彼女たちによって獲得発見された。女性クラスも実は彼女たちが望んで作った、グロピウスが困って作ったとばかり思っていた。織り機をグンターシュテルツルが発見したことからはじまった夏休みにゴブラン織をつくった。織れる人が居ないから自主的に研究し、シュテルツルを中心にゲオルクムッへがサポートし発展していった。パウルクレーに形態論の講座を要請した。マリアンネ・ブラントはなぜ金属工房に入れたか。何回断られても行かせてくれと頼んだのが何よりだが、絵画をやる前に彫刻をやっていたため女性は3次元的弱さを克服していた。ホモリナジには彼女がどれだけ立体構成の才能があるか見抜いた。イッテンを去った後の育成をナジが担当。ナジの影響にあり、ブラントはフォトモンタージュの才能も開花。奥さんルチアモホリの位置づけ。この人が居ないとバウハウスの世界を形成できない。彼女の方がナジをサポートしたと海外では書かれているが日本では否定的に描かれがち。プラハで美術と写真を学びモホリから教わったわけではない。深川雅文は97年にバウハウスの写真展を企画した。シンディシャーマンや澤田智子のパイオニア的存在。山脇道子がタペストリーを使ったセルフポートレートだと思っている。おおのたまえさんは知られていなかった。94年の企画展にはじめて。4人の日本人バウハウス学生たち。高井戸のバウハウスコレクション。
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