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娘は戦場で生まれたのmiyuのレビュー・感想・評価

娘は戦場で生まれた(2019年製作の映画)
3.5
・「子どもにはなんの罪もない」
確かに。
でもじゃあそういう、罪はないとされる子ども時代を過ごしたその先で、その未来で、大人となった者たちには罪があるのか、ないのか。
作中の”大人”たちは革命を起こし(起き)、その結果現在の戦場の状態ができているという流れを共に生きてきたという点でここで思考したい対象とは少し異なるかもしれないが。でもそれだって、革命を起こすというまでに至ったその国の状況はその人たちが子どものときに大人だった人達によってできているもので、そのとき当時子どもだった人たちはすすんでそれに加担しているわけではなかった。
大人になったら、行動が自分で選べるから?選択肢を持っているから?そのときその大人に罪は、責任は、あるといえるのか?生まれるところ、生まれる時代は選べず、その人のもつ思想や行動は、選んでいるようで実際は選んでいないようなものでもある。サマが大人になったときにどのような行動をするのか、どう生きるのかは、その、罪なき子ども時代を含めたこれまでの環境や文化に大きく影響されて、それを背負って、そのときに存在することができる場所で発揮されることになる。そのときに行われた行動に対して、罪があるか、無いか、そういうことって言えるのだろうか。
全ての人に罪がなく、全ての人に罪がある。どうしようもないような気がするけど、でもそういうどうしようもなさをつくっているのは、持続させているのは人間である。どうしようもないとかじゃなく、行動しなければ、違うと思えばそれを発さなければ、変わらない。でも、相手だって相手なりの信じるものを表現するような、場合によっては迫られた環境の中でそうせざるを得ないような形でその戦争行為をしている。

・自分の行動の責任みたいなものをとることが、今は容易にできるような感覚を私自身は持っている。よい選択をしていける、みたいな。でも前提となる状況自体がまず全然どうしようもないものであったらその選択によいもわるいも言えない。

・なんで人は生きるんだろうか、なぜ自分は生き続けられているんだろうか。それが揺らげばこの作品を見て考えるとか行動するとか、そういう変化や労力のいる行為のその意義や必要性についての納得も揺らぐはずなのに、もうまったく無残にも人がどんどん死んで、激しくて、呆然とする。その間にも自分は呼吸をして、こうやってのんびり考えていられるほどには安全な場で健康に生命維持をしている。
合間合間に団らんの時間があることとか、子どもが笑っていることとか、そういうのが作中のこの環境における生存のとうめいな理由になっているのかもしれないけど、まあだから、自分の生活を、自分の感覚自分の身体が存在するこの環境での時間を人と関わりながら本当に生きるということが、どんなときでも生き続けるためのそのブイのようなものになるのかもしれないけど。
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