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娘は戦場で生まれたのQTakaのレビュー・感想・評価

娘は戦場で生まれた(2019年製作の映画)
4.1
凄いドキュメンタリー映画だ。
そこに有ったのは、理不尽極まりない虐殺の現場。
それでも、生命の息吹が有った。
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原題”For SAMA”
愛娘「サマ」へ捧げたドキュメンタリーだ。
冒頭から、娘へのナレーションが物語をナビゲートする。
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街の名前は”アレッポ”。
名前くらいは聞いたことが有る。
戦場だとばかり思っていたが、そこはれっきとした街、むしろ大都会だったのだ。
そこには、普通の市民生活が有って、見渡す限り建物がひしめき合い、大学も有った。
このドキュメンタリーの主人公でありカメラマンであるワアド。
始まりはアレッポの大学生の頃。
大学を中心に始まった反体制運動が起点になっている。
体制とは、アサド政権だ。
ロシアのプーチン政権と手を結び、自らの牙城を築き上げたアサドが、自国内の反体制派を武力を持って排除しようとして、空爆のみならず、毒ガスまで持ち出して、自国民の殺戮を行ってきた。
そのアレッポについて実際の映像を交え、繰り返される惨状がスクリーンに映し出される。
ただ、一方的に叩きのめされ、殺されて行く。
この街で、彼らの住む場所で、毎日のように行われる惨状。
これが日常になって行く。
やがて、これが彼らの生活の一部になっていく。
殺されることが日常になるなんて、そら恐ろしい事態である。
そんな現実が描き出される。
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物語は、娘”サマ”へ語りかける記録映像の形態を取っている。
母親が、自らの反体制運動や、夫との出会いから、この娘の生まれた街とその時代を記録しているのだ。
それは、我々日本人の持つ日常の感覚とははるかにかけ離れた日々だ。
幼い時代の思い出という生易しいものではない。
なぜなら、そこには、毎日定期的にやって来るロシアの戦闘機やヘリコプターからのミサイルや爆撃による建物の破壊があり、その爆撃によって傷ついて行く者たちや、死んで行く者たちの姿が生々しく記録されているのだから。
死んで行くのは、小さな子供やその親や、この街で共に暮らしてきた人々だ。
血まみれになって運び込まれる人々の姿をそのまま追っている。
壁も床も血まみれで、床に寝かされた人々の多くは既に遺体となっている。
そして、遂には病院も爆撃を受け、共に医療に関わってきた仲間達を目の前で失う。
瞬間の振動と爆煙、その煙の中で命が奪われていく。
これが、この子の生まれた場所、時代なのだという。
何故、ここに留まるのか。
なぜ、強大な力によって叩きのめされることがわかりながら、この地に居るのか。
それは、ただ、ここが故郷だから。
そして、この地で共に怒りの声を上げた仲間達を想うから。
正義は、どこにあるのか、それがわかっているから。
その子を前にして、この地をただ去って行くことは出来ないから。
この街は、この子”サマ”と夫婦の故郷なのだから。
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この惨劇をこうして目の前にして、なお何も感ぜず、無視できるだろうか。
これは、故郷を守る戦いであり、思想信条を表現する基本的な権利の行使を守る戦いでも有る。
彼らは、人として、いたって普通の、基本的な物を守ろうとしているだけなのだ。
そんな彼らを、暴力を持って潰そうとする暴力のどこに正当性を認められるというのだろう。
そのような政権が、ここまで永らえているシリアと言う国はどうなっているのだろう。
そして、その国は現代の国際社会でどう認められているのだろう。
そこに、アメリカを始めとする大国の論理がからんでいることは明白だ。
そこに、この日本も加担していることもおのずと明白なことだ。
では、この日本の国民はいったいどうするのか。
この問題は、既に私たちの問題だ。
はたして、日本人はこの姿にどう答えるのか。
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映画の中に、救われる場面がいくつか有った。
一つは、娘”サマ”の笑顔だ。
眠そうなサマに母親が呼びかける。
寝落ちしそうなその顔の口元が、ニコッとする。
母親の声の優しさと安心と…
もう一つ衝撃的な、そしてほっと安心した場面がある。
繰り返される空爆の犠牲になった妊婦が運び込まれる。
日々、何人もの犠牲者が救われずに息を引き取っていく。
そんな中で、この妊婦は意識もないまま帝王切開で出産することになる。
取り出された子供は、息もしていないし、心拍も無い。
まるで、物のように取り出されたまま動かない。
そんな子を蘇生させる。
マッサージをし、背中から刺激を与え、何とか息をさせようとする。
やがて、息を吸う、声を出す、泣き出す、目を開けようとする。
生き返ったのだ。
ナレーションでは、「母子ともに無事」と伝えている。
この地に有って、その状況に有って、これが人々の救いなのだと想う。
生命の素晴らしさ、喜びを実感するシーンだった。
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この地域の都市の惨状は、『ラッカは静かに虐殺されている』や『ザ・ケーブ』などでみてきた。
まさに、実際に行われてきた事実である。
この時代、私たちが生きている地上で起こってきたことである。
そのことに、無関心で居続けていいとは、もう言えない。
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同様に医療現場から惨状を訴えているドキュメンタリーに『ザ・ケーブ』が有る。
度重なる空爆によって混乱する医療現場の日々を映し出している。
ただ、この映画『娘は…』が異なるのは、より長い時間でアレッポを描きながら、ジャーナリスト本人の意思とこの地の住人達の体制への想いを描き出している点だろう。
現状を訴えながら、反体制の思いを伝えようとする制作側の意図を最大限映像に乗せることに努力している。
現状をいかに訴えるのか。
ジャーナリズムの本領をこの映画に見た気がする。
空爆によって破壊し尽くされた街並みを、ドローンの空撮がなめるように、そして広く眺望する。
その広大な瓦礫の広がりを前に、何かを考えなければ…
QTaka

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