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ワンダーウォール 劇場版のQTakaのレビュー・感想・評価

ワンダーウォール 劇場版(2019年製作の映画)
4.0
大学寮の”寮”の文字。
宀にRと書いた。
そんな昔を思い出した。
そんな奴らを思い出した。
奴らは、今どうしているのだろう。
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『変人達の巣窟』で、変人になれるならそれでもイイ。
まぁそうだろう。
そこに生きる姿が見えるなら。
そこは、まさに”巣窟”。
有象無象のように見えて、やがて天下を執るような輩達だ。
そのエネルギーが沸々と煮えたぎっていることが伝わってくる。
そんな姿を描き出した点で、この映画は百点満点だ。
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映画は、京都を舞台にしている。
冒頭のバスの車窓の風景が気持ちを一気に惹き付ける。
そして、映画は、その多くのシーンを学生寮の中で展開させる。
その寮のセットは、この映画の鍵となる。
玄関を入って直ぐの広間からはじまる室内。
その壁に所狭しと貼られた様々な張り紙や筆跡。
廊下の台所、冷蔵庫、本棚、何だかわからないいろいろなもの。
至るところに積まれた本と壁を埋め尽くす本棚。
猫、アヒル、カメレオン、つまりリアル”どうぶつの森”。
そして、マージャン部屋。
大学寮に必要な要素がおよそ全て揃っている。
美術さんにグッジョブ!。
この映画の一つの顔が、こうしたセットを踏まえた映像美だろう。
何十年もの月日をスーッと呼び戻してくれるのは、この映像だからだろう。
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もう一つの表現は、この有象無象の作り出す群像だろう。
そこには、笑いも有れば、激論もあるし、ケンカもある。
(家族模様も有る。)
そして、(コレ大学にありがちな)意外な隠し技も登場する。
人は見かけによらないもので…
でも、その混とんの中で揉まれることで、社会で生き抜く力を手にすると言うことも有ったはずだ。
むしろ、そのことの重要さを知っているから、学生寮は連綿とその場を引き継いできたのだろう。
それは、有る意味で”道場”と呼べる場所なのだろうと思う。
そのことを、この映画は気付かせてくれる。
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有る場面がとても印象に残った。
というか、ちょっと響いた。
学生達が学生課の窓口へ抗議に行く、そのことについて上級生が考えたことを述べたシーンだ。いわば、これらの抗議行動の無意味さを明らかにしたのだけれども。
学生部長へ寮生達の意見を伝えようと学生課の窓口へ押しかけるが、そこで対応するのは派遣のおばちゃん”寺田ポッド”。
その向こうに、いくつもの人、役職を経て、ようやく学生部長へたどり着く。
その入り口の、窓口の係りの”寺田ポッド”が辞めた。
代わりに新しい女性が来た。
それだけのことだと気付いた。
これは、学生達が目の当たりにした現代の社会構造の一端だ。
同時にそれは、私たちの社会全般に言える構造でも有る。
「交換可能なパーツ」としての存在。
それが、この社会の共通形態として、あらゆる部分で、あらゆる構造を占めている。
それは、学生達が、寮をめぐる抗議において窓口で見た事が、実は私たち誰もが日々感じて、あるいは目にしていることだと示している。
その構造的な欠陥、もしくは鉄壁の防御システムを前にして、あきらめてしまおうとしていた。
そこに、三船の姉が、待ったをかけた。
美人のお姉さんに「がんばってください」って言われて、当然、舞い上がるわけだ。(笑)
このこたつを囲んだ会談(?)は、とても重要な場面だ。
「どうだ、考えろ!」と学生達が問いかける。
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好きな場面ー暁の茶事ー
「和敬清寂」の掛け軸を前にして、窓外に朝日を見ながら茶を立てる。
このドレッドの兄ちゃんが妙にカッコいい。
こういう不思議なポケット持っているヤツっていたよねぇ〜。
そして、その部屋が、さっきまでの喧騒と乱雑に包まれていた場所とは思えないのが面白い。
この映画は、本当に”多様”性に満ちていて、全てがそこにきちんと揃っていると言う面白さに満ちている。
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今回は、”STAY HOME MINI-THEATER”で、この自粛騒動の最中に見ることが出来た。
自宅の鑑賞環境では、映画館のスクリーンには遠く及ばない。
出来れば、映画館が再開した時に、大きなスクリーンでもう一度見てみたい。
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