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BLISS ブリスのkuuのレビュー・感想・評価

BLISS ブリス(2019年製作の映画)
3.9
『BLISS ブリス 』
映倫区分R15+.
原題Bliss.
製作年2019年。上映時間80分。

ドラッグに手を出した画家の女性が悪夢のような事態に陥っていく姿を、独創的な映像表現と容赦ないゴア描写で描いたホラー作品。
現実から逃避するために見境なくドラッグに手を出した主人公の末路が映し出される。
ジョー・ベゴスが監督と脚本を手掛け、ドーラ・マディソンが主人公を演じ、トゥルー・コリンズ、リース・ウェイクフィールドらが共演する。

画家のデジーはスランプで絵が描けなくなり、クライアントから援助の打ち切りを云い渡されちまう。
家賃も払えず困り果てた彼女は現実逃避から、売人に勧められた合成ドラッグ『ブリス』に手を出すが。。。

作品の鑑賞においては観客の人生経験が試されるって、オスカー・ワイルドは『芸術が映し出すものは、作者の人生ではなく、観客である』って述べてる。
サイケなボディホラーを全面に押し出した今作品を観ながら、小生は、同じ問いに立ち返っていた。
芸術てのは、絶望と苦悩からしか生まれへんのか、それとも美と喜びからしか生まれへんのか。
これってのはもはや化石のようなテーマやけど、脚本・監督のジョー・ベゴスは、よりラディカルな意味でこのことを考えさせてくれたかな。
今作品は、好き嫌いが分かれるかもしれへんけど、壮大なスケールのヘッドトリップ(心理探索)やと思う。
ベゴスはこの作品を甘美なスーパー16mmで撮影する勇気で、デジタル媒体じゃ決して再現できひん方法で映画を明晰で、しかも触知可能なものにしてる。
フィルムには没入感があり、今作品ではそれを感じることができた。
せや、監督はクールとかアーティスティックにしようとするんじゃなく、己がどないな作品を作りたいかを知り、ビジョンに忠実やと思う。
むしろ、彼の映画はアンチアートであり、アンチヒップスター論であるとも云えるかな。
冒頭で、20代のエジーが紹介される。エジーの現在の状況は、羨むとは云えなく、かろうじて生活費を稼ぐことができる苦闘中の美術家として、彼女は多くの時間を高級クラブで過ごし、ドラッグにおぼれ、酔った勢いで乱交を行い、平静を装う恋人のもとに戻ってくる。
最新作を完成させるよう彼女に迫っていたエージェントは、彼女が締め切りに間に合わなかったし、彼女を降板させることに。
落ち込んだエジーは、疎遠やったディーラーに直談判し、タイトルにもなっている不思議なドラッグを手に入れる。
やがて彼女はインスピレーションを取り戻し、未完成のプロジェクトに猛烈な勢いで挑む。
もちろん、薬を飲めば飲むほど、彼女はより多くの作品を作り出し、傑作を完成させるために、さらに多くの薬を必要とする。
ほんで、もちのろん、これにゃ代償が必要になる。

今作品が薬物依存症に対する訓話を意図していたかどうかは別として、この作品は、その背後にある心理を、一部の人たちよりもずっとよく理解している。
中毒と闘ったことのある人なら誰でも、抑制してコントロールしなければ大惨事を引き起こすちゅうジェットコースターのような状況を理解している。
最初は気晴らしに、一見無害そうに見える行動でも、いつの間にか鬱状態に陥り、自己破壊に陥ってしまうことがある。
ほんでもって、今作品は、監督が作品で主人公に起こることのほんの始まりに過ぎず、あとは本当に正確で首尾一貫した描写が不可能なんやと思う。
自分で体験してみるしかないと思う。 薬物乱用の恐怖を一人称視点で描いた映画は多いけど、その多くは、主人公に薬物乱用以外のアイデンティティをほとんど与えてへん。
今作品はの主人公の彼女は、まずアーティストであり、気が強く、知的で、皮肉屋で、口が悪く、不機嫌で、監督が変身する前にアイデンティティを確立した3次元の個人であるんちゃたいかな。
この映画で初めて彼女を見たけど、デジー役のドーラ・マディソンは無鉄砲にこの役に没頭していた(献身的といえば献身的やけど)。
彼女は、不機嫌な外見の下にあるあるある種の弱さをもたらし、少し矛盾した存在になってた。
嫌われモンでありながら愛嬌があり、魅力的でありながら耳障りであり、
映画と同じように目をそらすことができひん。
最終的には悪役の主人公となる。
大胆で奔放やと思えば、次の瞬間には弱々しく奔放になる。
ディジーのように、ジョー・ベゴスもまた、記憶に残る、混沌とした、予測不可能な、恐ろしい、そして奇妙な美しさを持つ、価値ある作品を創り出したと思います。
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