じゅ

グリーン・ナイトのじゅのネタバレレビュー・内容・結末

グリーン・ナイト(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

いいっすね〜。どの瞬間を切り取っても最高な画。
ガウェインが旅立ったところの背景めっちゃ好き。緑地が広がる右手には故郷であるどでかい城と城下町が急にあって、左手には朽ちた小屋。
あと巨人の行進も最高。

てかイカしたスタイルの緑の騎士さん、首斬られるのをびびるガウェインに「俺がそんなに恐れていたか」みたいなこと言ってたけど、我ら人間はあなたと違って落ちた首を拾って帰ってくっ付けるとかできないんよ。


アーサー・ペンドラゴン国王の甥のガウェイン。飲んだくれて怠惰に過ごす彼には叔父を囲む名だたる騎士たちに話す武勇伝もない。
ある年のクリスマス、国王と騎士たちとの宴に招かれざる客が訪れる。木でできたような緑の身体に戦斧を携えたその騎士は、皆にある"遊び"を提案する。名乗り出た者に緑の騎士自らの切り落とさせ、1年後のクリスマスに彼を探し出させて今度は彼に首を差し出すというもの。静まり返るその場で、名乗り出たのはガウェイン。アーサー王から渡された剣で緑の騎士を斬首する。緑の騎士は落ちた首を拾い上げ、高笑いを上げながらその場を去っていった。
1年後、ガウェインは皆に促されながら緑の騎士を探す旅に出る。盗賊の追い剥ぎに遭い、聖ウィニフレッドと出会い、不思議な狐に導かれ、どこかへ向かう巨人たちを見つけ、雨風に打たれながらたどり着いた奇妙な城での数日間を経て、ガウェインは約束の緑の礼拝堂にたどり着く。
緑の騎士の前に頭を垂れたガウェインだが、斬り落とされる覚悟ができずその場を逃げ出す。故郷に帰ったガウェインは年老いたアーサー王から王位を継承し、戦争に明け暮れ、王国まで攻め込まれると一人また一人と周囲の者が離れていく。最後に母が去って独りになった時、ガウェインはかつて寄った奇妙な城の奥方から受け取った不死を与えるという腰帯を抜き取る。首に切れ目が入り、頭が首から転げ落ちる。
・・・・・・という未来が見えた(?)ガウェインは、腰帯を抜き取って「準備ができた」と緑の騎士の前に頭を垂れる。その様子を見た緑の騎士は、ガウェインを讃えて「首と共に帰るがよい」と声をかけた。


『ガウェイン卿と緑の騎士』という原作があって、冒頭で言われていた通り原作者は不明だけど、かのトールキンがえらく感銘を受けて英訳したとか。パンフレットに書いてた。

アーサー王伝説の関連作といえば1953年のリチャード・ソープの『円卓の騎士』なら観たことある。アーサー王の甥ガウェインといえば、めっちゃ高潔な騎士で光る聖杯を探しに行く人じゃなかったっけか。
『ガウェイン卿と緑の騎士』原典のガウェインもやはり高潔なかんじみたい。緑の騎士の首を斬り落として、自分も斬り落とされに旅に出る。過酷な旅路の中でたどり着いた城で城主の妻に誘惑されるけどどうにか跳ね除けて、でも彼女から譲り受けた魔法の腰帯は死の恐怖から離せなかった。緑の騎士は斧を振り下ろすけど、サー・ガウェインの首に浅い切り傷をつけただけ。実は緑の騎士の正体は城の城主で、城にいた目隠しの女性モーガン・ル・フェイの魔術により姿を変えていた。サー・ガウェインは恐怖に屈した顛末を故郷で詳らかに話し、その恥と共に腰帯を肌身離さず身につけて生きる。

本作のガウェインは原典とことごとく逆だったわけか。まず騎士じゃない。旅立つ準備をしてるときになんやらいろんな五箇条が言われてて、特に騎士道の5つの徳は寛容・友愛・純潔・礼節・同情心らしい(パンフレット情報)けど、たぶん何も持ってない。原典のガウェイン殿はそんなことなかったんだろうけど本作のガウェインは自らの意志が薄いまま旅立った。名誉を求めたのも、アーサー王とかの影響で自分もそんなん持ってなきゃいけないと焦ったからなんじゃないか。途中でたどり着いた城の奥方の誘惑にはしっかり負けてイかされて、原典のガウェインは城主に自分からキスを"返した"らしいけどこっちのガウェインは城主に唇を奪われた。そして、奥方からもらった不死の腰帯を緑の騎士の前で投げ捨てた。
原典では偉大な騎士ガウェインの精神の限界を描いたとされるなら、映画版では放蕩息子ガウェインの最後の最後での大きな成長を描いたわけだ。母が放蕩息子に試練を与えるような構図っていうパンフレット解説だから、試練を乗り越えて成長しました、と。

ちなみに映画の方だと、アーサー王の妹でガウェインの母にあたる人がこのモーガン・ル・フェイって人だったらしい。(じゃああの城のミステリアス目隠しレディはいったい?)これによって、母が放蕩息子に試練を与えるような構図になっていたとのパンフレット解説。なるほど。ありがてえ。
ただ、だとしたら旅立つ時に母から与えられた腰帯は何だったんだろう。どういう帯なのか全然説明されずただ絶対失わぬよう念を押されていた。「これを身につけていれば誰もおまえを傷つけられない」的なこと説明してあとは緑の騎士の前でガウェイン本人がどうするか、っていう形にして試練が成り立つんじゃないだろうか。あるいはあれだけ御加護もりもりな準備を大人数でやってるってだけでガウェインへの説明は十分だったのかな。あとは城の奥方は御加護の補給ポイントだったとか。


城の奥方とガウェインの彼女のエセルが同じ役者さん(『ジェイソン・ボーン』のアリシア・ヴィキャンデル)だったのも、ガウェインという人間を描写する上で大きな意味があったのかもしれん。すなわち、愛というものへの姿勢が対比のような形で表れていたのかなと。奥方が「騎士は愛の達人なんでしょ」的なこと言ってたから、ほんのりそんなことを思ってる。

エセルからは愛を求められた。的確な表現が思い浮かばないけど、彼女はガウェインに引っ張ってってほしかった人っていう立ち位置だと思ってる。
エセルはただガウェインのそばにいたくて、国王ガウェインとその妻の自分という夢を語る時でさえも重要なのは女王の座よりガウェインの隣にいることってかんじのニュアンスだったような気がしてる。誰よりも大量の黄金なんていらなくて、ガウェインの隣の空間がほしい人。そんな、貴方について行きますよ的なスタンスだったのがこのエセルだったのかなと思う。
で、ガウェインはそんなエセルの話を聞いてもずっと茶を濁すようなかんじだった。

奥方からは愛(に準ずるもの?ガウェインからしたら)を与えられた。原典のことも考えると試されてただけだったんだろうけど。こっちはガウェインが奥方に引っ張り回されるかんじになる。
ちょっとずつ距離を縮められて、最終的に誘惑に屈した。

求められても手が伸びず、与えられれば受け入れる。そんなところにもまた彼の自主性のなさが出てたかなと感じる。


ところで本作は自然と文明の対立構造になってるみたいな解説もパンフレットをざっと流し読みしたかんじあった。
なら緑は自然、赤は文明の色で、緑の騎士は自然の象徴になるのかな。

赤は欲望の色で、緑は欲望の後に残るものみたいな話もあったか。どれだけ排除しようとしても隅々から忍び寄ってくる緑。功績も足跡もやがて全部緑が覆い尽くす。戦争の後に辺り一面に倒れる屍体もいつか大自然が片づける。

緑の騎士がその見た目通りに大自然の化身だったとしたら、互いに首を斬り落とすあの友情と信頼だったかの遊びというのは、自然を刈り取った(緑の騎士の首を斬った)ならば、それにより何らかの種類の欲を満たした後にちゃんと自然に還せ(賞賛を受けた1年後に緑の騎士に首を斬られろ)よ、っていう話になるんだろうか。還せってことか、あるいはどうにせよいずれ必ず還るものだということか。
還さない(緑の騎士に首を斬られない)で逃げ帰った先に待っていた未来が、欲望のまま暴走して破滅する終焉ってことだったのかな。


あとバリー・コーガンのバリー・コーガンみがあまりにも強くて眩しかったです。
じゅ

じゅ