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アフター・ヤンのラピュタんのレビュー・感想・評価

アフター・ヤン(2021年製作の映画)
4.6

ただ唯タダ、この雰囲気につかって 温かな茶葉のごとく漂ふべきやも

テクノ・スピーシーズの誕生後の世界とその謎に迫る
いや、謎解きを目的にするのではなく謎そのものにどっぷり浸かってみましょう、なかなか心地イイので、個人的にはかなり満足度が高めでした
切ないながらも不思議な雰囲気にあふれたクリエイティヴな作品でした

海辺では浮輪でぷかぷかしよう🏖

お湯の中に漂う茶葉の断片を見つめているような味わいで、薄いと感じる人もいるかもしれませんが、作品には薫るような不思議な魅力がありました
オープニングのダンスシーンからぐっと引き込まれたならば最高でしょう🎉
「お茶🍃の魅力に取り憑かれた父親と母親の間に人種の異なる娘がいて、人工知能を搭載したヤンと合わせて四人家族」
これだけ知っていれば、あとはオートモードでページをめくりながら2時間を堪能できるはず

I wanna be …
I wanna be just like a melody
just like a simple sound
like in harmony

I wanna be just like the sky
just fly so far away
to another place
to be away from all
to be one of everything…
( ♪ GLIDE ♪ 小林武史 )

以下は、可能な限り鑑賞の妨げにならないようにこね回したつもりですが、いかがでしょうか...
αはネタバレではなく無害なはず 
さらにβ→と作品の謎に迫って?みます

アルファ段階
監督は上の楽曲を蘇らせたかったよう それがこんなに美しく復活したことに拍手を送りたい🎉

コリンファレル(アイルランド系)は陰影のある演技でセクシー、アフリカ系のパートナーの女優(ジャマイカ系)は多分お初でしたが彫刻的な美しさがあった(ワカンダにいたかも)
中国人娘役の子(インドネシア系)の魅力はどこか懐かしさも(青いパパイヤの香りの少女を彷彿とさせません?)
多様な人種が登場するが皆さんそれぞれに美しかった
ヒトはヒトを美しいと思えるから...

笑えたのは、最初のダンスとラーメン
ラーメン🍜 、ちょっと冷めないかとハラハラ💧

ヤンが故障した後、父親は彼のメモリに記憶された過去の断片から彼のことを知ろうとするのだが、普通なら不完全で誇張されやすい自分のメモリーから彼を偲ぶはずなので、面白い転換がある

なお、不可能を部分的には可能とした未来にも、やはり家族は作られ、ヒトの死は避けられない
テクノもイモータルではない

ベータ段階
両親は、娘に選ぶ自由を与えようとして文化を伝えられるヤンという人工知能を兄として選んだのだった
裕福ではないため、中古を購入したのだが...
ヤンはいつも〝妹〟に寄り添っくれ、喧嘩もしない最高の〝兄〟となり、幼い彼女にとってヤンの存在はかけがえのないものになる…大き過ぎるほど、に
彼は中国語を教えその伝統を伝えて、やがて成長する彼女は人種のるつぼたる米国を選ぶのか、あるいは固有の遺伝子に従い中国人として生きていくのかという選択肢を迫られるはず... この二律背反は何を示唆するのだろうか?

ヤンの前提条件
人工知能を搭載したアンドロイドである彼には、共存のためにあらかじめ恋愛や殺意など強烈な感情を抱かないようにプログラミングされているはずだ

このようなテクノ・サピエンスの完璧な記憶と従順さは、どんな影響をホモ・サピエンスに及ぼすのだろう?

ガンマ段階
感情とは、とくに思慕の情は、何がもたらすのだろう?
記憶は、感情の源泉になりうるのではないか?
言い換えれば、記憶蓄積という太陽系は広がるだけなのか、あるいはどこかの星系に向かうのだろうか? 長く寄り添えば情がうつる、というではないか…

「There is NO something without nothing」の意味は?
ヤンとの会話で、母親は死を無と思いたくない、と語っていたのだろう(誰の死かは語られなかった)
一方、記憶はA Iにとっては単なるDATAであり「無」とも呼べようか
ならば彼の言葉は、記憶が実存を形成するという意味にもとれまいか
でも...ひょっとして、ヤンは自分の存在自体を「無」と言ったのだろうか??
それならば切なすぎる

いや、そんなこんなを探るのは野暮なこと
ただただこの映画の雰囲気に浸って茶葉のように漂うべきなのだろう

それでも気になる(不快ではない、関心が呼び覚まされるのだ) ファレルは、茶葉に何を見ていたのだろうか...
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