湯っ子

アフター・ヤンの湯っ子のネタバレレビュー・内容・結末

アフター・ヤン(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

感想をまとめるのがとても難しく、だけどあれこれ考えて書き連ねてしまいました。とりとめのない文章ですみません。




心地よく揺らいだ音をたくさん聴いた。柔らかく優しいなにかに包まれて、とろとろとまどろんでいるみたいな、不思議な時間だった。

「無がなければ有もない。」
もともと、ジェイクにとってヤンの存在は、有でも無でもなかったのかも。ヤンが動かなくなって、初めてヤンを家族の一員として意識したのだと思う。そこからヤンを取り戻すべく、彼の記憶を辿っていくジェイク。
ヤンは養女ミカのお世話係だったよう。ヤンが動かなくなってショックを受けるミカだけど、子供のたくましさか、ジェイクがヤンの記憶に右往左往したり涙したりしている間に、自分なりに折り合いをつけ、最終的にはヤンを自分の心に取り込み、喪失を乗り越えたように思える。

これは近未来なのか、まったく別の世界なのか。
父はアイルランド系、母はアフリカ系、娘は中国系の養子。人種の住み分けからも、ジェンダー関係のややこしさからも自由な世界のように感じる。もしかしたら、この夫婦が養子という選択をしたのは、不妊が理由じゃないのかも。ヤンのような「テクノ」やヤンの記憶の中の女性エイダのような「クローン」がいる世界では、もう人間の原始的な生殖は廃れているのかもしれない。そして、緑に囲まれた静かな環境。これも技術の進化の賜物なのかな。オフィスは必要なく、全てリモートで仕事ができる環境のよう。母カイラが出勤する様子はないのに、「これからプレゼンが…」とか言ってる。

父ジェイクが店舗でお茶の専門店をやっているのは、この世界では「酔狂」と取られてしまうのかな。それとも逆に、合理性を徹底した世界の中で、あえて精神性に価値が置かれる向きもまたあるのだろうか。それでも客には簡便な粉茶を置いてないことでクレームつけられたりしてるから、価値を売り物にしているというよりは、自身のこだわりでお店をやっているのかもしれない。

作中やエンディングに印象的に流れる「グライド」でも、私はメロディになりたい、風になりたい、海になりたいと歌われる。全て、実体や輪郭のはっきりしないもの。お茶の世界もそこには通じるものがある気がする。

お茶がポットの中で舞う様子はスノードームみたい。

コゴナダ監督と言えば小津リスペクト、っていう枕言葉がつきもの。私はたまたま紀子三部作を観たばかり。数日前、紀子三部作に共通するものが「不在」ということを思い当たったのだけど、まさにこの作品がヤンの「不在」を描いたものだった。小津の描く昭和の家庭が、あらゆる社会規範のもとに、よく言えば支えられている・悪く言えば縛られているのと逆に、本作の家庭はあらゆるストレスから解放されているように見える。人種やジェンダーに関わるストレス、妊娠・出産・育児に関わるストレス、緑も多く、公害などの環境ストレスもあまりなさそう。そんなストレスフリーな世界なのに、何かとても静かで内向きな感じがする。変な言い方だけど、「自由」に閉じ込められてるみたいな。ここに住みたいか、と聞かれたら考え込んでしまう。
湯っ子

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