けんたろう

アフター・ヤンのけんたろうのレビュー・感想・評価

アフター・ヤン(2021年製作の映画)
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やたら綺麗で寧ろストレスの溜まるおうち。


何かあれば直ぐさまカメラを向くる今日の人々。記録することに意識を奪はれ、無機質なる媒体に感性を支配せられ、己が体験を無意識のうちに蔑ろにする人々。思考をテクノロジイに占拠せられ、最早や脳味噌の欠片も使ふことなく、発展やら発達やらを諸手を挙げて喜んでしまふ、科学の奴隷。美よりも効率。感性よりも知性。──糞食らへである。何んなら、糞の方がよつぽど素敵である。其んな何うしやうもなき我れらの行く末に、まさかユウトピアなど在る訳けあるまい。

其処に来て、本作である。
無論、モチイフは非常に気味が悪い。又た始めのうちは、不快なる画の聯続に嫌悪感を催しもした。
ところが本作を観つゞけると、何故かしら、其の映像美に段々と酔ひしれてゆく。成るほど、モチイフもリズムもカツトの繋ぎ方も総べてが無機質である。然しながら、確かに其処には感情が在つた。
加へて彼のMemoryの聯続である。ダブルミイニングとも成りたる此のMemory。記録が記憶と成る様には、思はず涙を誘はる。
然うして遺伝子操作に依りて生まるゝ、前世と来世──延いては運命の概念である。無機質なるものを以て有機質なるものを描きたる其の演出には、最早や驚愕。

よくよく考へてみれば、映画なんてものは端から無機質である。撮影も編集も映写も──フイルムやデジタルを問はず──、何から何までオヽトマチズムの賜物である。
たゞ描かるゝものは其の通りでない。即ち、映画は何時も機械を用ゐて人間を描いてをる。其れは正に本作が遣りたることのやうに。

さて、何んでもない思ひ出の聯続に依りて、其処に生くる人々の途方も無き喪失感を描出せし本作。何んだか此の日常の切り取り方には、ベンダアスが小津の作品のうちに視たものを感ず。成るほど、物語りは殆ど無いと云うてよい。然し其処には、紛ふことなき人生が在る。
彼れは皆んなを愛した。其んな彼れを皆んなは愛した。独特のリズムに不快感を覚えはするが、然し間違ひなく其処には人間が在る、何んとも美しき一作であつた。