KnightsofOdessa

Careful(原題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

Careful(原題)(1992年製作の映画)
3.0
[雪崩に封じられた感情と刷り込まれたの階級差] 60点

大きな音や感情の爆発で大規模な雪崩が起こるとされる麓の街トールズバッド。住民は静かに感情を昂ぶらせないように暮らしていた。サイレント映画の過激なサンプリングで有名なガイ・マディンの長編三作目である本作品は、主に戦前ドイツの山映画(『死の銀嶺』や『モンブランの嵐』など)を模倣している。そもそもドイツにおける山映画は、アメリカにおける西部劇のような文化や歴史が融合したジャンルだったのだが、マディンはそれを"高い場所といえばゴミで埋め立てた公園くらい"と言われるウィニペグをモチーフにカナダで再現したのだ。そして、初のカラー作品でもあり、サイレント期の着色フィルムのようなベタ塗りのときもあれば、アメリカの不味そうなアイスのようにシアン、マゼンダ、ライムグリーン等々ゴリゴリの原色になっていたりするのは絵画的でありながらゴシック要素を残すグロさが横溢している。

主人公のグレゴリウスとヨハンの兄弟は魅力的な母ジナイーダの下で暮らし、クララという同じ娘が好きだったが、ヨハンの抜け駆けによって二人は結婚することになった。しかし、ヨハンはすぐにジナイーダとのオイディプス・コンプレックスに悩まさ始める。誰もヨハンの変化に気が付かない中、既に亡くなった兄弟の父が亡霊として現れ、屋根裏に幽閉された唖者の長兄フランツに来たるべき未来の警告を与え、ジナイーダは夫だった自分よりもノッカー男爵を愛していたと告白する(亡霊が消えるときのぐわーんという演出は適当すぎて吹き出した)。ちょっと『ハムレット』みたいな展開。そして、ヨハンは母親に媚薬を飲ませて近付くが、それを苦にして自殺する。

感情を抑圧したトールズバッドで一番の権力者はノッカー男爵という老人だ。本来マーティン・スコセッシが演じる予定だったが、『ケープ・フィアー』を完成させるために降板せざるをえなかった。そして、男たちはノッカー男爵の屋敷で働くため、こぞって執事養成学校に通い、礼儀と常識と"階級差を弁えること"を刷り込まれていく。階級差を感じさせないのは外界との接触のない二人、つまり主人公兄弟の幽閉された長兄フランツとクララの妹で箱入り娘のシグリンダだけだ。

第二部になるとヨハンとジナイーダとの関係はクララとその父親の関係に乗り移る。しかし、当の父親はクララの妹シグリンダが大好きでクララには目もくれない。そこで、グレゴリウスの恋心を利用して回りくどい復讐を遂行する。まず、ジナイーダは結婚に反対していたノッカー男爵の母親が亡くなったのを期に結婚しようとしていた。そして、ジナイーダがフランツを幽閉していたのは死んだ夫を思い出させるからだった。グレゴリウスは父の敵としてノッカー男爵に決闘を申し込み、クララに唆されて彼を殺すのだった。

漸くクララと一緒になれると心を躍らせるグレゴリウス。しかし、クララの心はその父親に向いていた。銃声で雪崩を起こして彼を殺す計画で、クララは洞穴に逃げ込むことなく父親と心中し、残されたグレゴリウスは涙を流す。すると、ここで設定初めてを思い出したのか激しい感情変化によって再び雪崩が引き起こされ、グレゴリウスは洞穴の中で凍死する。こうして登場人物はほぼ全員死に絶え、残されたのは階級差を意識することのなかった唖者のフランツと箱入り娘のシグリンダだけだった。

マディン初期作にありがちな、画面にしても人物関係にしても無駄に情報量の多いきらいがあって、一つの作品するには確実に必要のないサブプロットで溢れている。それなのに、"激しい感情変化で大規模な雪崩が起こる"という最も重要ともいえる設定を最後の最後まで忘れていたり、そもそも山を舞台にするという設定が不気味に浮いていたりして、まだ十分に成長しきれていないのが分かる。つまらなくはないんだが、どうも『ギムリ・ホスピタル』のストレートな纏まり具合や後年の作品を観てしまうと乗り切れない部分があるのが正直なところ。
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