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Just Don't Think I'll Scream(英題)
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『Just Don't Think I'll Scream(英題)』に投稿された感想・評価

[ゴダールとデュラスの三番煎じ] 0点

2016年1月。恋人と共に移り住んだアルザスの地で、半年前にその恋は終わり、45歳の監督Frank Beauvaisは独りになった。車もなければ仕事も特にこれといった展望もない。周りの自然環境も苦痛を和らげるのには何の役にもたたない。パリ同時多発テロ事件も記憶に新しいフランス自体も危機的な状況下にあり、監督は無力感を覚え、抑え込んだ怒りで窒息しそうだったそうな。そこで、監督は一日五本の映画を毎日摂取し続け、この停滞を映画にしようと思いつく。しかも、期間中に観た400本の作品を繋いで。マルグリット・デュラスの諸作品やガイ・マディン『The Green Fog』などを思い出す実験的な作品。

この手の作品は完全な出オチ映画なので、実験的な手法を独り善がりにしないことが重要なのだが、本作品では語りのために映像を当てはめているせいで意味が二重になってしまってクドい上に、75分間1秒も休まずにクドクドと話し続けるので枠組み以上に自慰映画として自己完結している。ガイ・マディンは『The Green Fog』において、『めまい』を別の映画で再構築しつつ、会話を意図的に省くことでサイレント映画的な普遍性を獲得し、最も原始的な形のモンタージュ理論を再現してサイレント映画への回帰という自身の至上命題にも答えていた。それに対して本作品は語りの時間に合わない映像は暗転されて繋がれるので、全く脈略もなく映像はぶつ切れになる。文字情報(フランス語話者には音情報)が映像を隷属させているのだ。自慰以外の何ものでもないじゃないか。デュラスとかゴダールやったらなんでも成功すると思うなよ、タコ!

結構期待してたけど、残念だった。"いつかオデッサくんもやり始めるよ"と言われたが、作ったとしてもここまでイキりたくはない。デュラスくらい皆知ってるしな。そんなのパクってどうするって話ですよ。

※気持ち悪すぎて途中から飛ばしながら観てたのでなんとも言えないが、個人的な感想をひとことでまとめるなら"喋るだけだとバンされるから裏で一応動画流しとく系Youtubeの自分で撮る必要すらないバージョン"という感じっすかね。
CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

4.5
【映画で自慰すらできない男の自己提示】 
フランスの映画情報サイトAlloCinéで批評家平均4.3/5.0観客評価3.6/5.0の高得点を叩き出したドキュメンタリー『Ne croyez surtout pas que je hurle』がMUBIにて配信されました。映画仲間は「酷い映画だよ」と0点を下していたので不安でしたが、それは杞憂でした。と同時に、0点をつけたくなるのも分かる、映画的面白さを徹底的に排除したスノビズムな作品でもありました。

映画監督は誰しも自分の映画史を作りたくなるものだ。クエンティン・タランティーノは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は失われたあの時代の映画業界を郷愁たっぷりに再構築した。一方で、パールフィ・ジョルジュの『ファイナル・カット』は往年の名作の切り貼りで、映画のクリシェを見つめ直した。何れにしても、監督の趣味嗜好が反映され、監督の映画に対する愛情が観客へと伝播し、観ている方も楽しくなる作品が多い。だが、この作品は映画というものを暴力的に、ラブレスな状態で切り貼りしている。どの映画かも判別が難しい、妙なカットの切り貼り。そしてナレーションの内容となかなか一致しないカットの積み重ねは、観るものにフラストレーションを与える。しかしながら、それは決して駄作のベクトルを向いているのではなく、人生の停滞に悩み、好きなはずの映画ですら自慰の素材として消費できない自分の状態をメタ認知している様を切り取った点で唯一無二の光を感じ取ることができる。

監督のFrank Beauvaisは、1999年から2002年にかけてBelfort Entrevues Film Festivalの映画選定者であった。2006年以降、運命の男であるアルノと出会い、彼にまつわる短編『Compilation, 12 instants d'amour non partagé(2007)』、『Je flotterai sans envie(2008)』等を次々と制作する。

しかし、そんな彼はなかなか長編映画デビューを果たせず、人生に停滞する。そんな自分を引きこもり生活の中で観た400本の映画のフッテージを用いて心情を捉えた作品がこの『Ne croyez surtout pas que je hurle』、直訳すれば、「俺が叫んでいると思うなかれ」だ。

彼は「他人の人生を題材にしている映画を観れども、書く気も、映画を撮る気も、他のことをする気も失せてしまうと語る。そんな心境を投影するように、この膨大なフッテージの中で、人の顔が映し出されるのは僅か数カットのみだ。ほとんどが手や無機質な機械の動き、ドライな自然に、悪夢的描写なのである。そして、人が映し出されても、その多くは仮面を被っていたりする。これは、他人に興味を失ってしまった監督の深層心理を表現すると共に、クリエイターの持つ、自分の中にあるものを曝け出す行為への拒絶が現れている。創造を拒絶しながらも、傑作を創造してしまう二律背反たる離れ業をFrank Beauvais監督は長編デビュー作にて実現しているのである。

思えば、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』は、他人の人生を覗き見することで意識の移ろい、過去の再現を嗜み、自慰の素材とする「わたし」が人生の最後に、クリエイターになれなかった自分の中にあるクリエイティブな側面に気づき、半自伝的な超大作を書く=本作を紡ぐという円環構造を持っていた。本作は、ドキュメンタリーとして映画界のプルーストになろうとする瞬間を捉えたと言える。映画を観る行為は他人の人生を覗く行為であり、映画ファンやクリエイターはその覗き見的行為からインスピレーションや元気をもらう。それを失った世界で、膨大な映画の渦からかつての自分を取り戻そうとするこの過程は痛々しく、タチが悪いことに観る者も監督と同じ立場で厭世的な停滞に付き合わされるのだが、奇跡的にも映画と社会の関係性を極限まで純度高めて描くことに成功していた。

そして本作は2020年、コロナ禍STAY HOMEで映画を楽しめなくなった者や、創作活動ができなくなり絶望の淵に追いやられた者に感動と新たなインスピレーションを与える贈り物だったと言えよう。

MUBIにて配信中なので、『THE GREEN FOG』や『ファイナル・カット』でフッテージ映画に嵌った方は是非挑戦してみてください。
豚肉丸

豚肉丸の感想・評価

3.5
田舎に引きこもって永遠と映画を見続けている人が、今まで見てきた映画をコラージュして自分の人生と孤独を語るお話

試みは面白かったが、その試み自体も20分も経ったら退屈に感じてくる。終始世界各国の映画の一瞬一瞬を切り取って繋ぎ合わせた映像をバックに男が語るだけの映画なのだが、75分は長いような気がしてならない。
あと、普通に英語力が追い付いていなかった。序盤の監督の背景や父親についての話はなんとか追えてたものの、中盤からは流れる映像と英語を見続けるだけになってしまったのも相まって、結構退屈であった。
ただレビューを読んでいるとその退屈さが監督を表しており、観客にも追体験させていると解釈できて「なるほど...」と府に落ちたものの、そもそも監督の語っている内容自体理解できていないため、結局この映画を十分に理解はできなかった...

膨大な量の映画が流れるが、わかった映画は二つのみ。『サンタが殺しにやってくる』と『恐怖女子高校 』しかなかった。
映画を象徴するような印象的なシーンは一切切り取られておらず、映画で流れる映像の殆どはシーンの判別もつかないような映像ばかりなのが印象に残った。

そもそも楽しむような映画ではなく、映像のコラージュをバックに監督の孤独を追体験する映画だ、と捉えた上で見たなら多分理解できそう。英語力は必須だけど。