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i-新聞記者ドキュメント-のマーチのレビュー・感想・評価

4.2
〈東京国際映画祭2019にて〉

もはやこの国は安住の地などではないし、報道という言葉はその意味を成していない。「表現の自由」は政治の道具にされ、「芸術」も軽んじられてしまっている。これが「映画」を「芸術」ではなく「娯楽」と捉えて久しいこの国の末路なのか。

東京国際映画祭のグランプリ授賞式、最高賞には「東京知事賞」という謎の価値が付加され、授賞式に登壇した知事はグランプリを受賞した監督や女優が同じ壇上にいる前でその作品の中身には一切触れず、来たる疑惑だらけのオリンピックの宣伝をして去って行った。(きっとグランプリ作品は観てもいないんだろう)

『新聞記者』は製作されたこと自体が意義深い作品だったし、一見の価値はあるが、正直演出面においてはあまり優秀な作品だったとは思えない。それについてはまた機会があれば書きたいけど、それはそれとして今作は『新聞記者』の何千倍も価値のある作品だし、『新聞記者』を観た人は必ず、観ていない人は今作だけでも是非観て欲しい。

森達也監督の最新作にして、『新聞記者』のモデルとなった東京新聞の望月衣塑子記者に密着したこのドキュメンタリー作品、森達也監督らしく、今作での望月記者はあくまで被写体に過ぎない。『FAKE』同様にキャッチーな被写体を通して、森達也監督は己の主張と歪められた“正しさ”や本来の“在り方”をこの作品で定義している。そして前作同様に白黒はっきりさせるのが狙いではなく、あくまでもグレーな状態に終始することで観客に判断と議論の余地を残しているのがなんとも森監督らしい。

森友加計問題や伊藤詩織さんの件に斬り込みながら、次第に官邸記者クラブの異常なシステムや政権の横暴ぶり、飼い慣らされた官僚たちの問題へと非常にシームレスでスムーズな展開移動をみせるこの作品。こう書くと小難しく感じる人もいるだろうけど、そこはさすがの森監督、途中途中にユーモアと人間らしさを挟み込んでくるので全く飽きない。ドキュメンタリーに抵抗がある人もいるかもしれないが、森監督は今回かなり優しめに作っており、合間に分かりやすく文字起こしで説明もしてくれるし、新たな挑戦ということでポップな音楽と共におバカなアニメーションも登場するので安心して観に行って欲しい。

実際に籠池夫妻や伊藤詩織さんも出演しており、望月記者の日々の忙しない仕事ぶりと共に日本という国で現在も起こっている異様で歪められた事態を映像を通して近い距離で感じられるのはドキュメンタリーならでは。最後に森監督の私見が述べられるのは珍しいことだなと思ったけど、『新聞記者』は元々森達也が監督として就任するはずだった企画なだけに、今作には並々ならぬ監督の想いがあるんだろう。

答弁シーンの繰り返しや、横断歩道を渡れる者と渡れない者の対比など、森達也監督のニクい演出が随所に光っており、最近の出来事を網羅していることからドキュメンタリー作品ならではの素早さと時代を切り取る姿勢が映し出されているのも素晴らしい。

本作はドキュメンタリーとしては異例の50館以上の公開規模で上映されているとのことなので、是非とも観に行って感想や考えを発信して欲しい。この作品を観て何も感じないのであれば、あなたも右へ倣えで集団意識に甘んじる魚の群れの中の一匹なんだろうし、「i」を捨て、「we」に従属する1人なんだろう。それでいいなら、さぞかしこの国は住み良いでしょうね…どうせ鬱屈とした感情はいつか「忘れ」、痛みにはすぐ「慣れ」てしまうんだから。

森達也は告発する、この歪んだ状況を作り出したのは他でもない我々自身であり、私たち一人ひとりだと。認知も、意識も、個々人が自覚して変えていかないと取り返しのつかない事態に、今もう既に直面…いや、突入してしまっている。Twitterでネタ化されてそれに反応する某大臣を持て囃したり、中身のない発言ばかりを繰り返し挙げ句の果てにセクシーがどうのこうの言ってる某大臣をギャグ消費している場合じゃない。そうやって真剣に向き合わなくなった結果が今のあなたであり、この国の腐り切った惨憺たる現状なのだから。

誰もが望月記者のようになれる訳ではないが、誰もが望月記者のようにあろうとしなければならない。疑うことをやめ、迎合してしまったら、個人のアイデンティティは確実に失われてしまう。果たして本当にそれでいいのか…が、いま問われている。
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