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再会の夏のQTakaのレビュー・感想・評価

再会の夏(2018年製作の映画)
3.5
戦争さえなければ、こんな苦しみはなかったはずなのに。
戦争の時代を生きた人々の姿がここにある。
戦争は、このように人の心を痛める。
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舞台は第一次世界大戦を終えたフランスの片田舎。
事の発端、そして事件は、この戦いの中にあった。
でも、問題は、戦場には無かった。
むしろ、戦場から戻った時に、男と女の間に問題が起こった。
これは、まさに戦争が産んだ悲劇だろう。
そして、傷ついた心を癒す物語だった。
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第一次世界大戦は、それまでの戦争と異なり、”総力戦”の戦いだった。
国民は、尽く徴兵され、戦地へ送られた。
その戦いの中には、今日に至るまで語られる壮絶な戦いがあった。”ソンムの戦い”。
この物語の主人公が向かったのは、激戦の地”ソンム”では無かったことが劇中で語られる。
激戦の”ソンム”では無い東部戦線が主人公と僚友の犬が向かった戦地だった。
ご多分に漏れず、この大陸における大戦の歴史・事実について私はほとんど知らない。
だから、”ソンム”と他の戦地の意味もよく理解できていない。
ただ、この場合、送られた戦地が”ソンム”では無かったことが一つのポイントになっている。
激戦地では無かったにもかかわらず、勲章が贈られたというように。
送られた東部戦線で、戦場は予期せぬ展開を見せた。
この1917年の戦いには、ロシア革命が同時進行で起こり、そのことが歴史を大きく動かした。
この映画の前線でもこの革命が事の引き金になっている。
そういう歴史を踏まえてのこの物語なのだ。
戦争は、こうして現在進行形で時代を動かし、人々の生き方、人生を左右することになる。
その事を、私達は、”歴史”を年表の中に収めてしまって、なんら自分たちの生きていることと結び付けて考えていない。
もしかすると、ヨーロッパにおいては、歴史は身を持って体験しているもので、過去から現在、そして未来へ繋がる流れの中に自分が居る事を確認するものなのかもしれない。とすると、私達日本人とはずいぶん違う感覚だと思う。
この映画の物語は、おそらく、そういう私達の歴史感にも大きく、重要な教えを与えてくれるのだと思う。
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戦場で起こった悲劇が、彼のこの戦いへの思いをはっきりさせた。
それは、全くもって無駄な戦いで、殺し合いで、悲劇でしか無かったという確信だろう。
そこへ、勲章などもらったところで、何の意味もない。
その時、戦場で起こったのは、それまでの殺戮とは異なり、まるで事故のような殺し合いだった。
戦う事の意味などない事を、対峙した戦場の兵士たちは互いに分かっていた。
ただ、それが、そのための、殺し合うための場所でしか無かったが故に、結局殺し合うことになった。
そこが、戦場である事を知らしめたのは、一匹の犬だった。
その犬の行動が、兵士たちに、「兵士である」という事を思い起こさせた。
それが、正しい事だったとか、あるべき姿だったとか、そういうことは意味がない。
ただ、戦争における戦場の姿がそこにあっただけのことだろう。
それまで、その少し前まで、銃を置き、歌いあっていた人々が、本来の場所と役割に戻ってしまったのだ。
戦争が無意味な殺戮である事を、これほどまでに明らかにする出来事が他にあるだろうか。
殺さなくても良い相手を、まるで義務であるかのように殺し合う。
それが、戦争であり戦場の姿なのだと。
帰郷して、その戦場での働きに勲章を与えられたところで、それを誇らしげに受け取ることなどできるはずがない。
戦争の愚かさを、まざまざと感じ、受け止めてきた彼が、まさにその前線で兵士を兵士たらしめた犬に勲章を預けたのは、他に、あの場所に愚直に戦闘を続ける者が居なかった事を知っているからだろう。
それほどにまでに、無意味な戦場があった事を戦争の姿として映画いている。
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故郷に残してきた女性との間の些細な行き違い
それも、戦争の混乱がもたらした悪戯だろう。
人々が、互いの距離を引き裂かれるのも戦争の事実だろう。
兵役がなければ、普通に暮らすことができた田舎暮らし。
あの美しいフランスの田舎町の風景のなんと平和なことか。
そこに、暗い影を落としたのは、まさにこの戦争なのだ。
戦争がもたらす暗い影、それは人々の生活を尽く壊す。
ヨーロッパ大陸において起こった二度の大戦は、こうして農村を戦場にし、人々の平和な暮らしを壊していったのだろう。
この物語は、フランスの片田舎の風景と共に、陽の光の明るさが目に染みるスクリーンに描き出される。
しかし、その明るさと裏腹に、重く、暗い歴史の上に今日があり、決してその事を繰り返してはならないことを訴えている。
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