グラマーエンジェル危機一髪

傷物の人生のグラマーエンジェル危機一髪のレビュー・感想・評価

傷物の人生(1933年製作の映画)
5.0
エドガー・G・ウルマーがあの自由なる魂を持った「日曜日の人々」の次回作、言い換えれば単独初長編として制作したのが、この「傷物の人生」("Damaged Lives")という北米用の性病啓蒙映画という事実には深く驚かされるが、この明確なまでの雇われ仕事は、例えば大麻の危険性を説いた「リーファー・マッドネス 麻薬中毒者の告白」がその荒唐無稽さからむしろ大麻愛好者にとってのカルト的古典となったという大転倒とは真逆に、梅毒は恐ろしいという内容を確かに真剣に、地に足着いた語りで主張する、体制側の論理を律儀に反映した作品ではありながら、何かへの恐怖を描けばそれがジャンル的な快楽に傾倒する可能性があるのは当然であり、梅毒に罹患した主人公が病院で医師に引率されながら性病がいかに人間存在の肉体を破壊していくかを、今作におけるウルマーの演出を思わせる真摯さで滔々と説明される際、病室のドアが開かれ、目も眩むほど真白いライティングの中に肉体変容の犠牲者が映しだされ、それが執拗に繰り返される様は翌年制作の「黒猫」どころか、晩年量産するSF群の目も覚めるような飛躍すらも想起させるし、その危機的状況のなかで男女の愛が強靭になっていく光景は、その体制順応のプロパガンダすらも突き抜けるメロドラマの力があり、レニ・リーフェンシュタールの低劣な作品群がプロパガンダであるか映画であるか苦悩する暇があるならば、この「傷物の人生」こそがプロパガンダであり映画なのだと快哉を叫ぶべきであり、"ウルマーは啓蒙の映画作家である"という文章を、啓蒙という言葉が持つ吐き気を催す胡散臭さを彼のためにだけ無視して、堂々と使うべきなのだ。職人の美しき逸脱。