takeratta

mellowのtakerattaのネタバレレビュー・内容・結末

mellow(2020年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

想いは言語化して伝えるべきだし、
愛は語らい、伝え合うもの。

ポスト構造主義の、精神分析学、認識論のジャック・ラカンの示す、自我でいうならば、
自我を幼児期に構成するのは、鏡像段階(mirrer stage)、他者の欲望(へ応えたい自我)。

例えていうなら、
綺麗な彼女で在りたいのは、勿論自身の望みと希望なのだが、そう思う無意識は、
彼に、綺麗だね!って思って口に言葉にして表現して欲しい自我の写し鏡になってること。

或いは、
人を笑わせて楽しませたいコント職人は、正に他人のために動く、欲望こそが自我を形成してて、それを商売に飯代を稼ぐ人生を選んで歩んでいるなど。

(鏡に映る自身の姿を自分と認識するにあたり、
他者との関係性を作り始める前に、
自我を形成する。

自分がこう在りたい、こうしたいは、
他者である、鏡代わりの他者が有っての、
自我なのですね。)

さて、本題に戻りまして、

好きなら好きと言いたい片想い。
それを伝えるか?悩むなら是非、言葉や文字にして、声で発して、瞳を見つめ合って、伝えるべきかと。

反芻すべきは、社会性や倫理が反面教師に。

それ普通は言わないでしょ?と怒る夫も在れば、

他者を好きになってしまって心が虜になった自我に気付き、離婚を切り出す、
但し、順序を間違えぬように妻なりに配慮したつもりが

社会の非常識が
夫婦の常識になってた、ズレに気付いて
恋心も、社会的関係性も、同時に全て失ってしまったり。

社会的生き物なのですよね、人って。


聖書の、

初めにロゴス有り、

じゃないですが
言語なんかぶっ飛ばしても、
プラトニックな想いだけでも、
或いは対局的な、肉欲的な動物の本能的な、求め合い繋がり合いからでも、

本能的に相手を好きで求めてしまうのは、

相手を好きになる、自我が好きという、
自分が相手を好きだという、対象の他者との
関係性に応えたい、自己表現になっているというカラクリを美しく、正にmellowに描いている。

間の取り方が、実に上手い、脚本と演者さまたち。

無言が会話にはさまる空気感や、仕草が示す、溢れ出てしまっている、愛情表現を

言語を超越した、ボディーランゲージではなく、
花で、表現する。

実に、淡く儚い言葉のような、別物でも
それは、示す事が、語る事が出来るのを
私たちの一部は知っていて、

花を愛でる人もいる。

花は、言葉との結びつきが深いのですよね、
どの国家でも。


その事を、色んな年代で再確認できたりもした、学びも得ました。

構造主義や、心理学、フロイトや、デリダ、ラカン好きでない人の、
普通のレビューを、読んでみようと思います。

ややこしいレビューで済みません。
も少し頭整理します。
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