(鉄則)は100年の歴史にも耐えうる千古不易な骨法だと、今更ながらしみじみ思うのです
Nzingha Stewart
「トールガール」
その土地の名門とおぼしきハイスクールの校内図書館で、さっきから熱心に読書している女子高生が気になって仕方ない向かい合わせの男子高生がもくろむ所はデートの誘いであるのは言うまでもない。
男子高生はさりげなく彼女の読んでいる本についてニ、三の言及するが、あっさりスルーされてしまう。
彼女が出て行こうとする瞬間を逃すわけにはいかない。
タイミングを合わせるように一緒に立ち上がった途端、彼は絶句する。
女子高生の(何?)の問いに対して、うろたえながら逃げるしかない。
何しろ彼女・ジョディは男子高生の頚椎を90°に曲げるような姿勢で見上げねばならないほどの長身女子(トールガール)なのだから。
踵を返して去っていく男子高生を見つめる彼女のsighs(ため息)に乗って、(鉄則)通りその生い立ちが綴られていく。
転がるように滑り出す、この開幕のリズムはとても鮮やかです。
男子からいつも(今日の天気はどうだ?)と、冷笑されている位に、男女問わず校内いちばんの長身のジョディは、その背丈にコンプレックスを抱えて毎日を過ごしています。
かつてミスコンクイーンだった母や、現在クイーンを目指す華麗な姉とは対照的に(これ以上目立ちたくない)という理由だけで才能あるピアノの練習も自ら放棄しているファクターの装填もカセの(鉄則)に従っています。
スウェーデンから交換留学生として登場した爽やかなイケメンが、初めて自分と同じ目線で話せるほどのハイトールであったのだから彼女が舞い上がるのも(鉄則)だし、このふたりの先行きのクライシスの測定に、観ている私たちが胸踊ってしまうのも、ボーイズミーツガールの(鉄則)が効いているからです。
そして「トールガール」の主題にもリンクしていく(鉄則)は、実は彼女は魅力溢れる(みにくいアヒルの子)である事を明白にしている点。
気づいているのは観ている私たちと、彼女の家族、親友、そして片想いを寄せる短躯な幼馴染ジャックだけです。
何といってもわたし個人が最も瞠目した(鉄則)は「トールガール」の中にしっかりと宝が用意されていた所。
多彩に錯綜するドラマの中で縺れ絡んだ糸が最後のオチでスッキリ一本に収斂されて、観ている私たちのカタルシスを凧のように舞い上がらせる役割をもつ具象的なものを指します。
「セッシュ」という、固有名詞が100年前のハリウッドで独り歩きしていた事実を、私は恥ずかしながら30を越えたあたりで初めて知りました。
広義では、身長差のある俳優同士の2ショットや顔のアップを撮影する際、構図上のバランスを整えるために背の低い俳優を踏み台に立たせることを指すこの撮影用語の由来は、文字通り日本の誉れ(早川雪洲)に由来します。
Nzingha Stewart(ンジンガ・スチュワートと発音するのでしょうか?)という若い女性監督が、この学園コメディのデビュー作で、歴史上由緒ある小道具(セッシュ)を宝に設定している事実に少なからず感動します。
(鉄則)は100年の歴史にも耐えうる千古不易な骨法だと、今更ながらしみじみ思うのです。
とはいえ実はNetflix配信向けの「トールガール」を、そんな理由で推奨するのはどこか劇場映画への敬意に背反する気がしないでもない。
傑作でも何でもない「トールガール」からもたらされたこの感慨は、単なるこちらの老眼のせいか、あるいはアメリカ劇場映画の低迷のせいか、どちらもまだ認めたくない意味で、今は自問を控えておきます。