荊冠

BOLTの荊冠のレビュー・感想・評価

BOLT(2019年製作の映画)
2.0
福島原発へのアンチテーゼとして2015〜2017にかけて作られた独立した3作を『BOLT』というタイトルでまとめた作品。
林海象あるあるだが今回も「やりたいことは分かるがどうにもチグハグであと一歩足りない」仕上がりだった。

【BOLT】
地震によってボルトが緩み流れ出した汚染水を止めようと作業員たちが苦戦する。
福島復興の願いから作られたサンチャイルドの着ているヤノベケンジデザインの防護服を引用したのはイカす。
防護服はとても暑いので中にファンがついていたそうだが、着用時に後藤ひろひとのファンを永瀬正敏が切ってしまい、彼だけ人一倍の防護服の暑さに苦しんだというエピソードを舞台挨拶で聞いた。
年配の作業員が皆実直に使命に燃えている様子がヒーロー戦隊のような行動原理のわかりやすさで、映像の深刻さと人物の単純さが不釣り合いに感じてしまった。
短い作品の中で各人物の汚染水への覚悟を細かく描くことはできなくても、単刀直入すぎる台詞を削るか工夫するだけでもっとキャラクターの言語化されない人間味を出せる気がするのだけど。

【LIFE】
避難区域に帰宅したまま孤独死した老人の家の後片付けをする清掃員の話。
福島原発への問いを連ねた老人の書記や、清掃員が「生きていくしかない」と繰り返す台詞、行政の役員の「これで誰もいなくなった」という台詞、そういう安直な表現を削るだけでもっと刺さる作品になる気がするのに、どうにもそうしたズコーっと椅子からずり落ちそうなシーンがちょくちょく挟まるので、良いテーマ設定なのにシラけて終わった。

【GOOD YEAR】
林海象作品を「やりたいことは分かるけど…」と思ってしまう原因が1番詰まっている。
男が修理しているものが「天球儀」であること、女性の行き先が「北海道」であること、「人魚」、外車の「イルミネーション」……等等、メタファ的に用いられる各モチーフにてんで文脈が見出だせない。「何かいい感じなので引用してみました」としか見えず、どれも有効な比喩として機能していない。
まあ好意的に解釈すれば、交通事故を起こした女性はサンタクロース的な存在で、外車がイルミネーションで光っているのもクリスマスの飾り付けで、亡くなった妻そのものだったのか妻と瓜二つだったのかは微妙だがともかくクリスマスの夜に妻の思い出をプレゼントとして運んでくれた、みたいな展開を描こうとしてるのかなとか分からなくもないのだけど、色々詰め込みすぎて渋滞を起こしている。
メタファにはいつも脈絡が必要という訳では決してないが、文脈を飛び越えるメタファには突き抜けた熱量と作家個人の偏執が必要だと思う。
その天才が僕は唐十郎だと思っているが、林海象のメタファには文脈がない一方で、しかし文脈を無視しきれるほどの熱もない。
林海象の人物像をよく知る人にはメタファに選ばれるモチーフの個性の偏りも分かるかもしれないが、作品を見るだけではそうした「モチーフの選択から見える作家の偏執」は見えてこない。
あと「私の名前はアベマリア」って台詞はさすがにネタでしょう。
東日本大震災で傷付いた男の、亡き妻との一晩の邂逅というしんみりとした話だが、↑の台詞で全部ギャグになってしまった。
このアベマリアのモチーフとしての引用も意味が分からなくて、クリスマス→キリスト教における重要な女性→アベマリア、みたいな安直さしか見えないのだけど、何かもっと巧みな文脈が隠れているのだろうか?

月船さららはこれまで唐組の舞台で長身ならではの存在感や歌唱力のある女優さんだなと思いながら観ていたが、映像ではそうした強みが何も出ていなくて勿体ないなと思った。
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