事前告知のない監督トークショー付き。
元より「主語がでかい奴は信用ならん」と思って生きているため、
タイトルの「わたしは」に惹かれて鑑賞。
「わたしは」を付けるかどうかで話し合いがあったりしたようだ。
ドキュメンタリー作品あるあるとして、
ナレーションが聞き取りづらいというのがあるが、
この作品は非常に聴きやすかった。
さすが元アナウンス室。
国内外の問題をいくつも取り上げるというので、
そうとうとっ散らかっているのではという懸念があったのだけど、
「分断」という軸がしっかりしていたため
非常に観やすくわかりやすかった。
堀潤は物事について善悪や正誤について語らない。
ただ、現地からのリアルなリポートと関係者への取材を繋ぐのみで
予断を挟まない。
観客を流してはくれず、
観た者自身で考えなければならない作り。
堀潤が訴えることはただ一点。
「主語を小さくして話そう」のみ。
社会情勢を詳細に知っている人からすれば
それぞれの問題を深掘りしていないこの映画は
観なくてもいいかもしれない。
しかし、言葉は知っている/なにも知らないという人が観るには
すごく適した映画だと思う。
上映後、トークショーからのサイン会。
トークショーでの話で一番印象的だったのは、
安田純平の帰国後の会見でシリアの様子を訊く質問が
ひとつもなかったという話。
目の前に「今、日本でこの人しか知らないこと」を知っている人がいて、
その人にその人だけが知っていることを訊かないでどうする!!
堀潤は客を受け流すことなくどの人とも真摯に話していて
好感度上がりまくり。
私もしっかり話をしてもらえた。
NHKにいたら行けないところにも今は取材に行けると嬉しそうだった。
主語を小さくする前の問題がまだまだ多いと考えているようだ。
どうしたらそれらを解決に近づけられるのか。
「選挙」と「運動」が一部の好事家のもののような扱いを受ける
世の中でなくなることが大事だよなぁと私は思う。
同日に観た「この星は、私の星じゃない」でも
主語を小さくという話があり、
辺野古反対運動の様子があり。
自分がそういう活動をしている訳ではないのに
1日に2本も同じ問題を取り上げていたのは何の因果か。
無闇に近いくらい映画を観るようになり、
断片な知識が繋がりを持つようになってきた。
それがとても嬉しい。