ちゅう

ミセス・ノイズィのちゅうのレビュー・感想・評価

ミセス・ノイズィ(2019年製作の映画)
4.0
人は表面的なことを綺麗に取り繕えば取り繕うほどその表面に現れるものに価値を置くようになって、その奥にあるものを見ないようになっていく。
うまく取り繕えない人に対しては、ただ"めんどうな人"とレッテルを貼って処理する。
もしかしたらただ不器用なだけでとても誠実な人かもしれないのに。


高度な情報化がもたらす際限のない欲望。
僕たちは、充実した人生を送っている(ように見える)人たちの情報に間断なくさらされている。
充実した人生を手に入れるためにはあれもしなければならないし、これもしなければならない。
充実した人生を手に入れているように思われるためにはあそこに行ってあの写真を撮らなければならない。

かっこ付きの「最高の人生」に向けてのハードなチキンレースを走り続ける僕たちの目の前にはかっこ付きの「自己実現」がぶら下がっている。
それは無理矢理走らされている馬の目の前にぶら下がっている人参のようだ。
決して手に入らない「自己実現」を求めさせられ求めて同じところをぐるぐる回っている姿は馬というよりむしろラットに近いかもしれない。
同じところをぐるぐる回りながら、けれど崩壊という崖に向けてチキンレースをするのは地獄と呼ぶにふさわしい。

そして、このようにして僕たちは腐り続けている。


二つの視点から描くことで見えてくる現実の複雑さ、ネットやマスコミの浅はかな暴力性が、コミカルに描かれながらも切実な問題としてくっきりと浮かび上がってくる。
忙しい現代人はコミュニケーションの不在からくるこの種の問題から無縁ではいられない。

そういう意味で僕たちは、荒唐無稽に見えるかもしれないこの物語を自分の物語として受容していかなければならないんだと思う。
ちゅう

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